teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

新着順:23/1230 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

フェイク 第1591号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年10月 8日(日)00時09分54秒
  通報
  (発行=17.10.05)

日有上人時代、売却された大石寺
日蓮正宗機関紙「大白法」の駄文を粉砕 ㊤
相承受けずに本尊書写、遁走した法主も

日蓮正宗の機関紙「大白法」十月一日号の「異流義破折」欄で「無慚無愧の
謗法団体―創価学会」との見出しを付けて誹謗している。

それは宗教の機関紙とは思えない悪感情を剥き出しにした下劣な言葉の羅列
で、世界広布に邁進する学会に対する田舎の山寺の嫉妬にも似た駄文である。

紙数の無駄なので引用は最小限にするが、「大白法」に曰く、「学会に問い
糾すが、破門以降も功徳はあったのか?」とか僧宝たる法主を罵る学会は謗法
・一闡提で、法主に信伏随従する精神や御本尊と日蓮大聖人に対する信心もな
かった、更に「(池田名誉会長は) 大聖人を末法の御本仏と信じられない謗法
・一闡提人」等々と書いている。

まず「破門以降も功徳はあったのか?」との問いについて本紙編集部の厳密
な調査によると、学会員は宗門による理不尽な破門以降も功徳を満喫している。

学会員は法華講員と違って登山・折伏・御講・供養など無理なノルマに苦し
むこともなく歓喜に燃えて信仰している。

また「大白法」では「大石寺がいつから謗法となったのかを確定してみよ。
破門前とは到底言えまい」と詰問しているが、端的に言うと、大石寺は学会出
現前の昔から謗法であった。

それを正したのは初代会長の牧口先生、第二代会長の戸田先生であった。

日蓮正宗大石寺が謗法でなかったのは、学会が信徒団体であった約六十年間
だけである。

宗門七百年の歴史を見て、すぐに思い浮かぶだけでも日目上人の死後、早く
も日道・日郷の長期にわたる抗争で大石寺は荒れ果て、その後も造仏読誦の十
七世日精、相承を受けずに御本尊を書写した十九世日舜、浅間神社に御本尊を
下付した三十三世日元、相承をしないまま遁走した五十三世日盛、国柱会の謗
法者に御開扉を許可して御礼まで述べた五十五世日布などの法主がいる。

本尊を誤写した日開

昭和以降も本尊を誤写した六十世日開(日顕の父)、妾狂いの六十一世日隆な
どの悪僧がいたが、特に仏法を破壊した六十二世日恭は相承詐称の日顕と同じ
く極悪僧である。

日恭は戦意高揚の「訓諭」を発したほか、御観念文の改変、御書の発刊禁止
と要文削除など軍部権力に迎合し、神札を受け、神道思想を宗内に広く浸透さ
せて伊勢神宮遙拝を「院達」で指示した大謗法の法主だ。

これら不祥事、謗法行為に加えて、第九世日有上人の時代には役僧が大石寺
を売却した事件があった。

この「大石寺の売却事件」は「有師物語聴聞抄佳跡・上」に記されており、
五十九世日亨上人も次のように述べていた。

「しょっ中、日有上人は全國を行脚してござったんだから、寺には相當の代
官がおいてあった。(中略)慶舜という人と日有上人が懇意で、ときどき行かれ
たらしいです。慶舜に會うたびに、日有上人は、大石寺の跡のことを次のよう
に話されたという。

つまり三人の代官をおいた。しかるに、三人の代官がグルになって、大石寺
を賈っちまったということが書いてある」 (つづく)


 
 
》記事一覧表示

新着順:23/1230 《前のページ | 次のページ》
/1230