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掲示板終了の為

 投稿者:宿坊  投稿日:2022年 5月13日(金)00時22分18秒
 
レンタル掲示板のteacup 2022年8月1日 13時をもってサービス終了の為
フェイク掲示板を作成しました。

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フェイク 第1713号

 投稿者:宿坊  投稿日:2022年 4月 4日(月)01時36分23秒
  (発行=22.04.03)

富士宮の日蓮正宗・法善寺で火災
雨日顕と火災の日如、奇妙な二人の偽法主
諸天善神に見捨てられた悲惨な邪宗門

日蓮正宗の法善寺(富士宮市下条848番地、住職は齋藤栄順)で二日午前九
時五十分頃、火災が発生し、敷地内の倉庫が全焼した。この火災はテレビ静岡
で報道された (下の写真参照)

それによると、午前十時前、同寺の住職から「寺の倉庫から白い煙が見える」
と119番通報があり、駆けつけた消防によって火は二時間二十分後に消し止
められ、木造平屋建ての倉庫約二百七十平米を焼損した。

警察は物置として使っている倉庫の中から出火したとみて、原因を詳しく調
べているという。

消防車が駆け付けたのが早かったので火は寺の本堂には燃え移らず、ケガ人
もいなかったが、消防車の来るのが、もう少し遅れていたら本堂などにも延焼
して大惨事になっていた。

出火当時、現場付近は、消火作業のため迂回措置などの交通規制がとられ、
約三時間後に解除された。

 ところで、あの日顕は行く先々で集中豪雨に見舞われて「雨坊主」と呼ばれ
ていたが、日如は「火災坊主」だ。日如が〝盗座〟した後の主な火災を列記す
る。

平成十八年八月十二日午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた瞬間、奉安堂の東側
に立つ杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を吹き、周辺には黒煙が立
ち込め、消防車が出動した。

同二十一年六月、法道院でボヤ騒ぎがあり、同年八月には大石寺・駐車場で
乗用車が十台も焼ける事件があった。

同年十月十一日(日本時間十二日)にアメリカ・ワシントンDCの妙宣寺でお
会式の最中に火災があり、大騒ぎになった。

同年十一月十五日午後には大石寺の境内にある休業中の売店で、木造平屋建
ての建物八店舗、約二百五十平方メートルが全焼した。

続いて同二十二年一月十七日午後七時頃、新宿区・大願寺(住職は板東慈潮
)から黒煙が立ち上り、辺りには物凄い異臭が漂った。

この直後の二十七日には大石寺近くの蓮成寺でもボヤ騒ぎが起こった。

同二十四十二月十六日には延寿寺(高知県南国市内、当時の住職は川口盟道)
から出火、同寺の木造平屋の本堂と庫裏(住居部分)を合わせて約三百平方メー
トルを全焼した。これほど火災が相次ぐのは諸天善神の加護が無いからと言え
よう。

大聖人は「両火房と申す謗法の聖人……」と良観の極楽寺が火事で焼失し、
鎌倉幕府の御所でも火災になったので「りょうかん」をもじって「両火房」と
揶揄された。「火災坊主」の日如は現代の「両火房」だ。

 

フェイク 第1712号

 投稿者:宿坊  投稿日:2022年 3月31日(木)16時25分18秒
  (発行=22.03.29)

遊興法主が宗内の堕落を認める
我が身の研鑽も布教もしない日蓮正宗の坊主
二十一項目の「綱紀・自粛」が示す弛緩の実態

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」は学会批判のネタが尽きたと見えて三月十六日付
では「五十二年路線の延長線上にある創価学会」との見出しを立て、決着済み
の事項を蒸し返して非難している。

 特に「慧妙」は「在家でも供養を受けられる」と「儀式だけを行い、我が身の
研鑽もしない、大衆のなかへ入って布教をするわけでもない既成の寺院の姿」
という内容について、強く恨みに思っているようだ。

まず、在家でも供養を受けられるというは六十六世日達法主が次のように明
快に指南していた。

「雑誌などで学会が賽銭箱を置かない、そのくせ御供養を取っているという悪
口を言っているのを見ました。学会が賽銭箱を置く訳が無い。昔から神社、仏
閣には置いて在った。処が正宗は置かない。それは謗法の施しを受けないとい
う処から来るので、正しい信者の御供養は当然受けるのである。学会には賽銭
箱が無いのに決まっておる。それで御供養を受けたって、それは、学会はやは
り一つの宗教団体である。御供養を受け、或いは寄付を募集する。そりゃあ皆
んな自分の学会員、信徒、それ等から貰うんで少しも恥づことも無ければ、世
間で批判することの筋合いも無いのでございます」(昭和五十一年六月十八日、
室蘭・深妙寺)

供養の金で放蕩三昧

次に「儀式だけを行い、我が身の研鑽もしない、大衆のなかへ入って布教を
するわけでもない既成の寺院の姿」とは一般の既成宗派を指したものであった
が、当時、身に覚えのある日蓮正宗の坊主が自分達への非難と受け取り〝僧侶
批判〟だと騒いだのである。

ところが、日蓮正宗の坊主が研鑽も布教もしないで堕落していることは後年、
日顕が「彼ら(学会を指す)は、ジーッと御供養して信仰やって、坊さんが堕
落するのを待っていたんです」(平成六年五月二十六日、全国教師寺族指導会
)と、供養の金を浪費し、放蕩三昧にふけって堕落している事実を認めたでは
ないか!

学会が莫大な供養を続けたのは宗門外護のためであり、坊主を堕落させるた
めではなかった。研鑽も布教もしない坊主が自ら勝手に堕落したのである。

宗門が「C作戦」を強行するに当たり、平成二年八月二十九日、教師指導会を
開いて当時の庶務部長・早瀬義寛(今の日如)が「末寺(総本山の塔中および各
本山を含む)僧侶・寺族の綱紀・自粛に関する基準」を約一時間にわたって説
明。この基準を厳格に遵守するよう強調した。

当時の総監の藤本日潤は「在家信者の在り方を云々する前に、まず自分自身
の姿勢を糺すということが肝要であります。我が身の不徳、不行跡をも省みず、
他を云々することは、誰も納得いたしません。ただいまの庶務部長の綱紀・自
粛の問題も、このような必要性の上からも是非、徹底しなければならない要件
であります」と、学会攻撃の前に腐敗堕落した姿勢を糺すよう要望した。

日蓮正宗の坊主が、いかに腐敗・堕落していたかは「僧侶・寺族の綱紀・自
粛に関する基準」を見れば分かる。

 早瀬が徹底した綱紀・自粛の内容は「種々の面で弛緩が見られる」として二
十一項目にも及んでおり、いかに宗内が乱れ、堕落していたかを物語っている。

 まず一項目の「新築・改築・増築並びに墓地新設等に関する件」に始まり、
次の「月例御講について」では「必ず御書を拝読し、その御書に従って法義を
述べる」と規定した。

坊主は御講の席などで御書ではなく、内藤国夫や退転した原島嵩らが書いた
学会批判記事を掲載した週刊誌を片手に学会批判を繰り返したのである。

また、御講に参詣した回数の多少によって「決して差別してはならない」と
も記していた。

早瀬自身も大願寺にいた頃は「御講の参加者が少ない」と学会に文句を言っ
ていたが、本来は慎むべきことなのだ。

 次に「葬儀に関する件」では「一般世間の未入信者も大勢参列していること
を配慮」するよう注意を喚起し「不適切な言動によって、施主や親族の心を傷
つけることの無いよう、充分配慮すること」と徹底した。
これは葬儀の席で学会の悪口を言う坊主がいたし、導師をしながら居眠りして
数珠を落とすような不埒な坊主もいたからである。

 「塔婆に関する件」では塔婆を立てないと成仏しないとか、極端な言い方
や塔婆の強要と受け取られるような言動は厳に慎むよう徹底。これはその後も
守られていないのが実情だ。

 「御祈念に関する件」「数珠について」「本堂内部の件」の後の「御供養
に関する件」では「金額を特定したり、その多寡を云々することは絶対にして
はならない」とされた。当然である。

 次の「信徒の応対について」では「信徒に対する言葉使いや態度は、極力、
親切・丁寧を旨とすること」としている。平成八年五月、日顕は「信徒の分際
で」等と学会員を蔑んでいたが、こんなことを言ってはならないと決めていた
のだ。

「寺族に関する件」でも「信徒に対しては親切・丁寧を旨として誠意をもって
接すること」等々と規定。各種行事の後の祝賀会、新年会、忘年会、歓送迎会、
お祝い、お中元、お歳暮などについては「努めて自粛」と呼びかけ、結婚披露
宴などは「質素を心掛けること」「派手にならないように」と学会側につけ入
るスキを与えないために打ち出していた。

「華美・贅沢は慎め」

 十九項目では「品行について」の規定で「少欲知足を旨として、行住座臥(
ぎょうじゅうざが)に身を慎むこと。妄(みだ)りに遊興に耽(ふけ)り僧侶とし
て信徒や一般から非難・顰蹙を買うような言動は厳に慎むこと」と徹底した。

更に「服装・装身具等について」では「華美・贅沢なものは慎むこと。寺族
の場合もこれに準ずる」とされた。

 最後の二十一項目は「自動車について」となっており「価格・車種などそれ
ぞれの分を弁え、決して贅沢なものは選ばないようにすること。また、僧侶と
して相応しくない形や、赤い車など、派手な色は禁止する」と規定した。

 以前、カツラを被り、真っ赤な車に乗って遊び回る坊主がいたから、こんなこ
とまで徹底する必要があったのだ。

 早瀬が基準を徹底した後、日顕が綱紀・自粛に触れて「(僧侶・寺族の綱紀
・自粛に関する基準)は実情を充分に勘案して策定されたものである」「僧侶
は本来、少欲知足を旨とすべきであるから、これを機に気を引き締めていきた
い」と述べ、ゴルフなどを厳しく禁止すると語った。

 「綱紀・自粛の基準」を徹底した日顕は、翌三十日の講習会の閉講式でも綱
紀に言及。自粛の根本は我々の普段の信心と行学にある旨、述べて、この基準
をしっかり守っていくよう強く訴えていた。

 その日顕は三十日の講習会が終わり、参加した坊主が解散したことを見届け
ると、すぐに大石寺から車で一時間余りの伊豆長岡の超高級温泉旅館のS荘に
向かった。一緒に行ったのは女房の政子、息子の阿部信彰(日明)、その女房の
信子、金庫番の石井信量とナツ子の五人。一人一泊十五万円の部屋を予約して
いた。

 

フェイク 第1711号

 投稿者:宿坊  投稿日:2022年 3月13日(日)14時46分59秒
  (発行=22.03.10)

戸田先生の発案の登山会で活気づく
日蓮正宗の戦後の窮状を救った創価学会 ㊦
大石寺への供養を拒否した法華講幹部

本紙前号で渡辺慈済住職、吉田義誠、前川慈肇が戦後、大石寺は食料もない
ほど困窮していたと述懐していたことを紹介した。今号では戸田先生の発案に
よる月例登山会が開始されたことで、大石寺は活気づいたと明言した日達法主
の話を記す。
    ◇
「本山が衰微して、まったく御本尊様に上げるところの灯がなかった。一本
のローソクもなかった。お寺さんは商売人じゃないから、金を儲けることはで
きない。登山する人もいない。土地は全部農地法によって買い上げられてしま
う。どうしてやっていくことができましょう。その時に法華講の幹部の方が本
山へ集っていただいて、一年間に一世帯に五十円の御供養を本山からお願いし
たけれども、聞き入れてくれなかった。

遂に色々と理屈をつくって、とうとう逃げてしまったのであります。その時に
出席しておったのが戸田前会長であります。会長は憤慨しました」

「然し、彼はその時にまだ獄舎から出てきて間もなく、また自分の事業もない、
故に本人に金はなかった。そこで決心してつくったのが登山会であります」(
昭和四十年七月十一日、法華講東京地区連合会の大会)
     ◇
 「総本山におきまして、あらゆる農地や山林はみなこれを開放されたのでご
ざいます。全国の各宗の寺院を通じて最高の農地を開放した」「僧侶も塔中の
住職等皆、山林を開墾して、そこへ芋やキビ、トウモロコシ等を植えて生活を
していったのでございます。大坊においても食べる米がなくて、さつまいもが
常食で、ことに富士山のヒエを買って、ヒエのおかゆを食べておった時もある
のでございます。そういう生活をしておって、そして全国の信徒からいくらか
でも灯明料をあげていただいて、本山の威儀を保とうと、その当時の宗務当局
が考えまして、全国の法華講の信者の主な方に本山に来ていただいて相談いた
しました。

ところが年に五十円の醵金(きょきん)をしてもらいたいということを申し
出ましたところ、それがほとんど不可能であった。わずか五十円の醵金すら集
まりかねたのであります。そしてある人は、それに対して収支決算をして、収
支決算を明らかにしなければ出すことができない、坊さんは何に使うかわから
ないということを法華講の信者が申されたのであります」「それでもその五十
円の醵金はできなかったのでございます。そして、その会はついに流会となっ
てしまった」

「あとで東京におきまして一ケ月か二ケ月たったと思いますが、妙光寺を借
りてやはり東京を中心とした法華講ならびに学会戸田先生等に来ていただいて
打ち合わせをしましたが、それも充分な話にいかなくて、ついに戸田先生はそ
れならば登山会をつくろうというので、登山会を毎月一回、当時一回でしたが、
登山会をすることになって初めて本山は活気づいてきたのでございます」(昭
和四十八年八月三十日、教師講習会)
    ◇
戸田先生が大石寺の観光地化を阻止するために発案し、始まった月例登山会
なのである。「登山しないと成仏しない」等は的外れの脅し文句である。

 

フェイク 第1710号

 投稿者:宿坊  投稿日:2022年 3月12日(土)14時30分41秒
  (発行=22.03.09)

五重塔や御影堂なども雨漏り
日蓮正宗の戦後の窮状を救った創価学会 ㊤
参詣者はなく所化の素人芝居で客集め

 日蓮正宗の本山・大石寺は戦後、農地改革によって、所有地の大半を失い、参
詣する法華講の信者も殆んどおらず、食べる物もなくて、疲弊の極みであった。
そのため、宗門は大石寺の観光地化を計画した。

 昭和二十五年十一月二十三日、客殿に富士宮市長、上野村長、観光協会の幹
部、税務署長、富士宮駅長らを招いて「総本山を中心とする富士北部観光懇談
会」を開催。大石寺を観光寺院化することで生き延びようとしたのである。

 この信仰心を失った大石寺の企みを知った創価学会の戸田第二代会長は宗門
の窮状を救うために「月例登山会」を発案した。学会員が供養を持参して大石
寺に参詣することで経済面を支えようと考えたのだ。

 この観光地化について宗門の謀略紙「慧妙」は三月一日付で「大石寺登山へ
の批判は的外れ」との見出しを立て「京都や奈良のような、観光地化による収
入など目的としてはいない」と莫迦な言い訳をしている。

 寂れた大石寺を観光地にしても奈良や京都みたいな〝観光の名所〟になる筈
もないが、生活に困窮していたから苦し紛れに観光地化を思いついたのである。

 学会は本部の建設をやめて五重塔を修復

 当時は戦後の食糧難、住宅難の時代で、社会全体も貧しく、学会も資金は乏し
かったが、それでも戸田会長は学会の本部などの建物は後回しにして、大石寺
の五重塔を修復したのをはじめ奉安殿、大講堂など当時の最高水準の近代建築
物を建立寄進した。

 食べたのは芋と南瓜

 戦後の苦境時代をよく知る吉田義誠(日勇)は次のように述懐していた。
「昭和二十二年八月二十日、私は内事部理事補(御仲居)を拝命したのでありま
すが、我が国は有史以来の敗戦という大きな不幸に遭い、社会的にも混迷のど
ん底の時でありました。

 総本山は第一次・第二次農地開放によって、所有していた土地の殆んど全部
を開放し、喰べる米とてなく、来る日も来る日も芋をたべ、或いは南瓜を食べ
て餓えをしのぐありさまでした」と当時を振り返っていた。

 そして「私どもが所化の頃、本山の御用でしばしば狩宿の井出家に使いに行き
まして、その時、千居を通って狩宿に出る道を通りましたが、その間は殆んど
本山所有の山林でした。この山林も未墾地買収によって開放されてしまいまし
た。何でも、寺院関係の農地開放としては、その規模と徹底した開放に於いて、
全国でも一、二位であったと聞いております」

 このように土地を失ったことにより困窮の極みであったと述べた後、それが百
十三万五千坪以上の広大な土地を所有するようになったと述べて「池田先生の
外護の赤誠によるものであると、深く感銘するものであります」と記していた。

 法主の住居はバラック

 次に、戦後の生き証人であった渡辺慈済住職は次のように証言していた。

 「私が得度したのは昭和二十四年。当時の本山は、今日からは想像もできない
ほど困窮しており、貧乏寺そのものだった。

 昭和二十年六月十七日に起きた大石寺の火災で、大奥、書院、客殿等を焼失。
 約六百坪がポッカリ焼け落ちてしまった。それに追い打ちをかけるように戦
後の農地改革の波である。大石寺の土地は、戦前三十一万八千坪あったものが、
わずか五万一千坪になった。六分の一に激減である。

 昭和二十三年十一月に客殿は再建されたが、御影堂は雨漏りがし、五重塔は
さらに状態がひどく、雨が降り込んでくるほど傷んでいた(写真)。当時の日昇
上人の住まいも、バラックというありさまだった」

 食糧の確保のため所化が土地を開墾

 「大坊でも、今の客殿前の広場となっているところに、わずかばかりの田んぼ
が残った。しかし、耕すにも近くの農家は馬を貸してくれず、道具だけ借りて、
当時の所化七人が馬代わりになって働いた。近所の檀家の人々は「七頭だて!」
と笑って見ているだけで、手伝ってはくれない。お仲居まで加わり、皆泥だら
けになっての作業だった。先の見通しも明るさもなく、苦労と貧乏の時代だっ
た」

 「檀家はというと、自分たちの生活が手一杯で、大石寺のことを考えるどころ
ではなく、本山からすっかり遠ざかっていた。檀家を、どうやって大石寺に参
詣させるか。さまざまに議論、検討された。そこで浮上したのが、『総本山法
華講』を発足させることであった。昭和二十五年、大聖人御聖誕の意義を刻む
二月十六日に、御誕生会を兼ねて発足式を行った。

 八月のお盆と、二月の誕生会の時に総会を持ったが、檀家の人たちは足を運
ばない。一つの対策として、浪花節語りとか漫才師などを呼んで〝客寄せ〟に
使った。しかし、これはお金のかかることでもあり、自前の芝居を打つことに
なった。この出演者に、我々所化小僧も駆り出されることになったのである。
二十五年八月のお盆の時の集まりでは、『佐渡の御難』という題で劇を行った」

 「この時、客殿には、法要の時に集まったのは二百八十人ほどだったが、劇
の時には五百人に膨れ上がった。芝居の〝客寄せ効果〟はあったわけだが、手
を替え品を替え、懸命になって集めても、五百人集まるのが精一杯の寂れた田
舎の貧乏寺だったのである」

 大石寺の復興へ観光地化の愚策

 「そうしたなかで、大石寺復興の目玉として計画されたのが〝観光地化〟であ
った。二十五年十一月のことである。背に腹は替えられぬとはいうものの、明
らかに間違った選択だった。

 信心もしない人を大石寺に参詣させて、その人たちが落とす金を狙うことは、
謗法の布施を禁じた宗旨に違背することは明白であった。これでは、京都や奈
良の他宗寺院と何ら変わらなくなる。

 この誤った道に堕ちるところを、辛うじて踏み止まらせてくれたのが、学会
の戸田先生であった」

 「当時、庶務部長だった日達上人も、後に、登山会がどれほどありがたかった
か、我々にしみじみ語られたことがある」

 「米の飯」はなかった

 また、前川慈肇(日秀)は「『それ飯だ!』合図の拍子木が鳴るや否や、所化
も小僧も一斉に食堂へ飛出した。たしかに食事には違いないが、『米の飯』で
はなかった。通常カラッピーと称する殻類の摺りかすを、メリケン粉で団子に
したすいとんである。汁は塩味、それに芋の葉が入っているだけのもので、そ
れも芋や大根の葉なら上々、何だかわけのわからない葉が浮いていることもあ
った。食べられるか食べられないかは、その日の食事当番を信ずる外に仕方の
ないことである。勿論、うまいもまずいもない、食べられれば良しとしたので
ある」 (つづく)

 

フェイク 第1709号

 投稿者:宿坊  投稿日:2022年 2月24日(木)12時58分29秒
  (発行=22.02.22)

広布の源流は三代会長の師弟不二の精神
「慧妙」の的外れな師弟観批判を破折する
相承詐称の法主に信伏随従は堕地獄の因

 日蓮正宗大石寺の理境坊に所属する妙観講が主体になって編集している謀略
紙「慧妙」二月一日と十六日付で学会の師弟観に難癖をつけているが、笑止千
万!

 宗門は約七百年間、惰眠を貪り、低迷を続けてきた。現在の世界広布の大潮
流は牧口初代会長、戸田第二代会長、池田第三代会長の創価の三代会長に貫か
れた師弟不二の死身弘法の精神が源流になっている。

 この崇高な学会の師弟不二の精神を否定する「慧妙」は、二月一日付の「歴
史改竄を糺す」の連載で「本来の正法正義における師弟観は、唯我与我の大聖
人から日興上人(已下御歴代上人)の師弟に別しての血脈があり」「御法主上人
に信伏随従する」よう記している。

 まるで血脈が断絶していないような言い種だ。

「慧妙」は、こんなことを言う前に日顕、その後の日如が日興上人以来の血脈
を正しく相承していることを証明しなければならない。

 だが、日顕が血脈を受けた証拠は皆無で、一人の証人もいないから「慧妙」
が証明できる筈がない。

 現在の日如は、相承を詐称して猊座を盗み取った日顕と同様、不相伝のニセ
法主で「大聖人已来の血脈」は受け継がれてはいない。

 こんなニセ法主に信伏随従しても功徳などある筈がなく、堕地獄の因となる。

 唯授一人の相承が史実とは違う〝神話〟であることは本紙で再三、指摘した。
最近でも〝取り次ぎ相承〟〝法主が相承もしないで失踪〟等の実例を示して1
706・1707号で詳述したばかりである。

 日顕自身も「宗門の歴史の中には(血脈が) 切れたような感じもあるんだよ」
と語っていた。

「慧妙」は「御法主上人に信伏随従」と書いているが、妙観講の大草一男が「
編集並発行者」となって昭和五十三年一月二十五日に発刊した「法道院信徒2
09名 離籍の真相」という小冊子で「『早瀬一族から次の猊下が出るのは当
然のことだ』など、とても信じられぬ」等と書いていた。

「慧妙」を編集している妙観講は早瀬日如が「猊下」になることを否定してい
たではないか。

 また、十六日付の連載「ここまできた創価学会」では六十五世日淳法主が戸
田第二代会長のことを「師弟の道に徹底されておられ、師匠と弟子ということ
の関係が、戸田先生の人生観の規範をなしており、この所を徹底されて、あの
深い仏の道を獲得された(以下略)」と仰せられた言葉を引用して「学会は、こ
の箇所だけを特に多用し、会長との師弟関係を強調する」と記して「本門戒壇
の大御本尊を切り捨てたことを含め、今日の学会は、一歩どころか大きく踏み
外している」と的外れなことを書いている。

 日如が早瀬義寛と名乗っていた当時、学会の会則の「三大秘法の大御本尊を
信受し」について御講の席で「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなんて、
破門された学会には許されない。狂っている」と叫んでいた。

「信受する」は許されない、狂っていると批判し、邪宗と化した大石寺にある
から「受持の対象としない」というと、今度は「切り捨てた」と泣き言をいう。

 だが、実際に切り捨てたのは「大御本尊は偽物」と断言した日顕自身である。


 

フェイク 第1708号

 投稿者:宿坊  投稿日:2022年 1月20日(木)18時23分50秒
  (発行=22.01.18)

被災地で厳粛に追悼の祈り
「阪神・淡路大震災」から二十七年に想う
当時、オウムはビラ配布、顕正会は勧誘に狂奔

阪神・淡路大震災から二十七年となる一月十七日、被災地では追悼行事が行
われた。このうち神戸市中央区の東遊園地では地震発生時刻の午前五時四十六
分に、「1・17」「忘」の形に並べられた竹灯籠の周りで参列者が黙とうを
ささげた。「忘」の文字は公募で選ばれたという。

 また、創価学会は兵庫県、大阪府の二会場で「阪神ルネサンスの日」の集い
を開催し、犠牲になった全ての方々に追善の祈りをささげ、復興の前進を約し
あった。

思えば二十七年前の大震災に際し、被災地の寺院や神社、キリスト教の教会
は自らも被災しながら施設を避難所として開放した。

特に、創価学会は地震発生の直後から関西方面の青年部をはじめ各地の多く
の会員が自発的に不眠不休で救援活動を展開。加えて、地震の翌日、首都圏の
ドクター部(医師)及び白樺会・グループ(看護師)約五百人からなる「救急医療
班」を結成して被災地へ派遣した。

そして会館を近隣の人達の避難所や救援・医療活動の拠点として提供、宗派
を超え、信仰の有無を問わず、多くの人達を救援した。

これとは反対に日蓮正宗の各末寺だけは救援活動どころか、門扉を閉ざしてい
た。家が倒壊、或いは焼失して行き場を失った地域の住民が途方に暮れて寺に
行っても中に入れようともしない冷徹ぶりだった。

例えば、妙本寺(神戸市灘区)周辺の被害は甚大だったが、同寺の建物は新し
く、損壊はなかった。それでも一般被災者に救援の手を差し伸べることはせず、
男たちが見張りに立って厳重警戒しており、被災者が訪ねて行っても門前払い。
番犬を置いて威嚇していたとも言われていた。

日蓮正宗の他の末寺も似たような対応で、自分達の寺、財産の維持管理に汲
々としているだけだった。

日蓮正宗は救援活動をしなかったが、宗務院は地震の翌日の十八日、早速、
義援金募集の「院達」を出した。そこには自宗の寺と信徒を支援するためと書
いていた。一般被災者への支援などは念頭になかったのだ。

その後、これはいかにも〝まずい〟と感じたのか、二十一日になって「義援
金は一般被災者にも役立てたい、念のため」と訂正して失笑を買っていた。

だが、日蓮正宗が一般の被災者に対しても、また、被災した法華講員に対し
ても救援らしいことをしたという話は聞かない。

顰蹙を買ったのは当時のオウム真理教で倒壊した建物を尻目にビラを配布。
それはカラー刷りの「緊急速報」で「またもや的中 麻原彰晃尊師の予言」「
場所は『神戸・直下型』時は『一月十八日前後』」と書いて、犠牲者を悼む文
字はなかった。この約二か月後、地下鉄サリン事件を起こしたのである。

また、顕正会の浅井昭衛は、的外れの地震予知を繰り返していたが、阪神・
淡路大震災や東日本大震災は予言できなかった。

その浅井が、かつて幹部会で「大地震の被災地では入信勤行が続々と行われ
ている」と強調。被災地での勧誘を奨励する発言だ。

事実、以前の「入信願書」を「入信報告書」に変更して入信者の署名・捺印
を不要としたのも阪神・淡路大震災の後の平成七年六月からである。

 

フェイク 第1707号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年12月 4日(土)13時22分59秒
  (発行=21.11.29)

五十三世日盛が相承せずに失踪
学会出現前の大石寺は寂れた謗法の山寺 ㊦
法主選びで僧俗会議や派閥争いの選挙

大石寺第五十三世日盛は猊座を投げ出し、相承せず、後継者の人選もしない
で失踪した。日盛は天保二年(一八三一年)十月、江戸に生まれ、同十三年(
一八四二年)十月に日英の弟子として出家。文久二年(一八六二年)十月、三
十一歳で大石寺の第五十三世となった。

第五十二世の日霑が四十六歳の若さで退隠した後を受けて登座したのだが、本
当に日霑から血脈相承を受けたのか、疑問がある。

「富士年表」には「十二月(編集部注=日にちは不明)日霑 法を日盛に付す
(霑伝)」と記されている。「霑伝」とは日霑の自筆による「日霑上人伝」を
指す。

だが、その「日霑上人伝」や「霑上御自伝(日霑履歴)」「日霑上人略伝」な
どには、この時期に日霑と日盛との間で血脈相承の儀式が行われた記述はなく、
次のように記されている。

「其の年十二月大衆檀徒等、学頭広道院を大坊へ請待す五十三世日盛上人是な
り」

「富士年表」の記載が、このことを指しているとすれば「大衆檀徒等、学頭広
道院を大坊へ請待す」を「日霑 法を日盛に付す」と書き換えたことになる。
その裏には宗門として知られたくない史実がある。

日霑は通算三度、登座したが、二度目に猊座から退く時は日胤(第五十四世
)へ、三度目に猊座から退く時は日応(第五十六世)に譲った。「日霑上人伝」
を見ると、この日胤、日応が登座する時の記述と、前記の日盛が登座したとき
の記述が違い過ぎるのだ。

明治二年の項によると、

「其夏阿州敬台寺英俊院登山す蓋(けだ)し昨年阪地に於て盟約せし事あるを
以てなり 其の七月同人を学頭へ請す 其の十月廿日を以て予再び蓮葉庵へ退
隠す年五十三。(中略)帳面証文手形を以て之を後住へ渡す 其の十一月朔日
学頭を大坊へ請す五十四代日胤上人是なり」(「日霑上人伝」より)と記され
ている。

この「英俊院」とは日胤のことで「盟約」により、日胤を学頭に任命し、後
に猊座を譲った。

日霑はその経過について、自らの意思で「学頭を大坊へ請す」とし、日胤を
後継者と定め、手順を踏んで相承したことを明記している。

また、三度目に猊座から退隠するときについては、日亨上人が日霑に代わり、
史実に基づき筆を進めている(編集部注「日霑上人伝」の一部は日霑の残した
史料により日亨上人が後に書き加えたもの)。

それによれば「近々退隠の志念を決し」て日布の再住を要請するが、日布が
辞退したため日応に譲ることになる、と記している。

更に相承の式は「再々住なれば遠慮せしなり」として、日布と日応との間で
行われ、「同廿日夜目出度相承相済みしと云ふ大に安心せり」(同)と書いて
いる。

明治二十二年五月のことである。

「日霑上人伝」では日胤、日応の登座については詳細に書かれている。ところ
が、日盛への相承については先述の通り「大衆檀徒等、学頭広道院を大坊へ請
待す」と書いてある。これは「大衆檀徒等」が日霑の意思の如何にかかわらず、
日盛を「大坊」に入れ、猊座に登らせたことを示している。

「唯授一人の血脈相承」が大嘘であることは明白だ。

日盛の退座を巡る騒動は衝撃的なので「日霑上人伝」(写真㊦)を再度、引用
する。

「依って予は根方本広寺に留り寄宿して山に入らず使僧を以て盛師の還住歟然
(かしか)なくば英師の御再住あらん事を只管(ひたすら)に懇望す 是に於
いて衆檀会議の上、英師御再住の事に決し予を迎ふ 到れば盛師亦下之坊を脱
し去り行衛(ゆくえ)知れずと云々」

日霑は根方本広寺に留まり、日盛が猊座に戻るか、或いは日英が再び登座す
るよう強く望んだが、衆檀会議では日英が再び登座することに決まり、大石寺
では日霑の帰山を促した。

すると日盛は下之坊から逃げ出して行方不明なったということだ。

注目すべきは「衆檀会議」、すなわち僧俗会議で次期法主が決められたとい
う点だ。

一人の師から一人の弟子へという「唯授一人の血脈相承」が、後世の作り話
であることは明白である。

更に「日霑上人伝」には「之ニ依ツテ泰明、慈暢に命じ其の蹤(あと)を追
ひ尋ねしむ 三十余日を経て閏五月に至り帰り白さく先づは豆相の湯治場を探
り江戸三箇寺及び講中を偵ひ野州栃木、平井、佐野、上州、大胡等、心当りの
場所は普く訪ひしかども更に知れずと云々」と書いてある。

日霑は、行方不明になった日盛を捜すために泰明、慈暢の二人を各地へ派遣
したが、依然として行方が分からなかったのだ。

第五十三世日盛が第五十二世日霑から血脈相承を受けたかどうかは不明だが、
日盛は火災の翌日に退座し、誰にも相承せずに行方不明になったことは確かで
ある。

この宗門史上、前代未聞の法主失踪事件にもかかわらず、「富士年表」の一
八六五年の項には「2・28 客殿・六壺・大坊焼失(霑伝)」と「日霑上人
伝」に基づいて火災のことを記したあと、失踪事件とそれに伴う猊座の交替な
どは「日霑上人伝」ではなく「石文」(大石寺文書)に基づいて簡単に記述し
て逃げている。

「5・7 日盛 大坊を辞し下之坊に移り、のち下野平井信行寺に赴く(石文
)」

「5・7 日英再住(石文)」「⑤・15 日英 大坊を辞し、日霑再住(石
文)」(編集部注=⑤とは閏月を示す)この「日盛 大坊を辞し下之坊に移り
……」から「日英大坊を辞し、日霑再住」の都合の悪い箇所では霑伝を無視し
ている。

激烈な謀略合戦

さて、一八六〇年代に表面化した日霑と日盛との間の確執は、やがて「蓮葉
庵系」と「富士見庵系」との派閥争いに発展した。

この蓮葉庵とは塔中坊の一つで開基は日霑である。富士見庵は日英が隠居所
として使っていた坊である。

つまり、「蓮葉庵系」は五十二世日霑の法系であり、「富士見庵系」は五十
一世日英と五十三世日盛の法系である。

「蓮葉庵系」の旗頭にのし上がった阿部法運(日顕の父親、後の日開)は、
陰謀を駆使して第五十八世日柱、第五十九世日亨上人を退座に追い込んだ。特
に、日柱を追い落とした事件は宗内の派閥争いにとどまらず、文部省や警察を
巻き込む大事件に発展し、当時の新聞で報道された。

この阿部法運が黒幕になり、二人の法主を追い落とした事件は、過去に本紙
で再三、述べたので、今号では詳述しないが、阿部法運は己が登座するべく奔
走する。これに対し「富士見庵系」の有元廣賀が対抗馬となり、壮絶な謀略合
戦が展開されたのである。

宗門では血脈相承を「唯授一人」「金口嫡々」と言うが、歴史を見ると、僧
俗の会議で法主を選んだ時もあり、激しい選挙で法主を選出したこともある。
また相承しないで焼死した法主(日恭)もいれば、日盛のように相承もせずに失
踪した法主もいたのが事実だ。

創価学会が出現する以前、大石寺は紛争が続き、寂れた謗法の山寺であった。

ある時、日亨上人が学会の戸田第二代会長に「あなたが四百年前に生まれて
きていたら日蓮正宗は、これほど滅びはしませんでしたろう」と述べたことが
宗門の腐敗を物語っていた。


 

フェイク 第1706号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年12月 3日(金)17時29分5秒
  (発行=21.11.28)

目師の滅後、早くも紛争が勃発
学会出現前の大石寺は寂れた謗法の山寺 ㊤
「金口嫡々」「唯授一人血脈相承」は大嘘

創価学会が日蓮正宗から〝破門〟という形で決別して十一月二十八日で三十
年が経過した。学会出現以前の日蓮正宗大石寺は、寂れた謗法まみれの山寺だ
ったが、それを救い、発展させたのが学会である。

その大恩ある学会を日顕が破門した結果、宗門は衰退の坂道を転落し、以前
の寂れた弱小宗派に戻ったのである。

  学会出現以前の日蓮正宗が如何なる醜態であったかを宗門が自慢げに吹聴す
る血脈相承の問題に絞って、㊤㊦二回に分けて紹介する。

特に、日蓮正宗では血脈については「金口嫡々相承」とか「唯授一人の血脈
相承」と言い、第二祖日興上人より、大石寺歴代(第三祖日目・第四世日道・
第五世日行)に順次伝えて現在の第六十八世日如に至ると称しているが、実態
は全然違う。

まず大石寺は第三世日目上人の死後、第四世日道と相承を受けたと称する保
田妙本寺の開基・日郷との紛争が続いたことが「富士宗学要集・史料類聚編」
や「富士日興上人詳伝」に記されている。

このうち「富士日興上人詳伝」の「直弟子および孫弟子の略伝」の章の「日
道上人」の節では「東坊の日郷上人の一類と不和となり、次第に紛糾を重ね、
これがために万苦を嘗められたが、事件の全解決を見ずして、ついに弟子の日
行上人に法統を付属して、西大坊において入寂せられた」と記され、大石寺が
「否塞(ひそく)の状態」になったとある。

このように大石寺は当初から「金口嫡々相承」「唯授一人血脈相承」ではな
く、紛争と権力争いに明け暮れていたのである。

第五世日行の臨終に第六世日時は間に合わなかった。

また、第六世日時は血脈を相承することなく死去したので、日阿が相承を一
時預かったが、その日阿も在位は僅か九か月で八世日影の到着前に死去した。

この時、日阿は在家の柚野浄蓮に相承を預け、柚野が日影に付属したと言わ
れている。

その第八世日影が第九世日有に相承した記録がない。

日影が死んだ時、日有は十七歳。この点について宗門の碩学・堀日亨上人は
「影師の亡くなる時に有師が壮年でなかったんですからね。相承を取次いだ人
があったことは考えられる」「記録に残っていない人に、そういうことがあっ
たと思いますね」と述懐していた。

出家して一年の所化が十歳で法主に

宗門発行の「富士年表」によると、第十二世日鎮は文明元年(一四六九年)に
生まれ、文明十四年(一四八二年)に法主になっていた。

この年表が正しいのなら、十四歳で相承を受けて登座したことになり、本当
に日蓮大聖人の仏法を理解していたのか、甚だ疑問だ。

更に驚くのは、これも「富士年表」によると、第十三世日院は永正十五年(一
五一八年)に生まれ、大永六年(一五二六年)、九歳の時に日鎮の弟子になる。
そして翌年の大永七年(一五二七年)に日鎮の死去に伴って、数え歳で十歳だっ
た日院が登座した。

日顕は〝相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮〟と歪んだ血脈観で法主の絶対
化を図ったが、出家して僅か一年、十歳の所化が〝生身の釈迦日蓮〟になった
のだ。

第十四世日主は弘治元年(一五五五年)に生まれ、天正元年(一五七三年)には
御本尊を書写し、お虫払い法要を修したと「富士年表」に記しているので法主
の立場にあったと思われるが、相承を受けたという記述はない。

もし、天正元年に相承を受けていたとすると、数えで十九歳だったことにな
る。

要法寺の僧を百年間、次々と大石寺法主に

大石寺と要法寺は粟田口の清という豪族によって結びつきが強まり、第十五
世日昌から二十三世日啓まで約百年にわたって大石寺の法主を要法寺から迎え
た。大石寺には人材がいなかったと思われる。

また、第十五世日昌から第十六世日就への相承は、代官の理境坊日義が預か
っていた。そして日昌の死後に登山してきた日就に理境坊日義が渡した。

このように第九世日有、第十二世日鎮、第十三世日院、第十四世日主は年少
で相承を受けていたし、後継者ではないものが相承を取次いだり、預かったり
したこともあったのだ。

更に、三十三世日元は宝暦十四年(一七六四年)、浅間神社に御本尊を下付し
たが、日興上人よりの血脈が途絶えていた証拠と言える。

近代の宗門史を見ると、次期法主への相承をしないばかりか、人選もせず、
突然、猊座を捨てて姿を消した法主がいた。第五十三世日盛で、第五十二世日
霑との確執があったとのことだ。

この二人の反目がいつから始まったかは定かでないが、日霑が四十六歳の若
さで退座したのは日盛とその師・日英(第五十一世)の画策があったとの説が
あり、「法灯連綿七百年」を標榜する日蓮正宗にとって隠したい恥部である。

平成元年六月、日霑の百回遠忌を記念して、絶版になっていた「日霑上人伝」
(写真)が再版された。

これは日霑自筆の自伝に堀日亨上人が補筆したものだが、日顕は「内容的に
赤裸々な形の所もあり、一般の信徒の方に広くお分かちするには多少どうかと
思われる」と語っていた。

それは「日霑上人伝」には一般信徒に知られたくない内容があるためだった。

日霑の自伝は「布教会報」に掲載されたが、明治二十四年五月十三日発行の
「布教会報」(第貮拾壹號)で「削除」の「訂正記事」が掲載された。再版さ
れた「日霑上人伝」には、その削除の箇所も掲載された。日顕が信徒に知られ
たくないと言ったのは削除箇所の内容だ。削除されたのは以下の文である。

「爰(ここ)に一山の大衆事情ありて大に沸騰し挙(こぞ)って盛師に迫る
 予聞くにたへず窃(ひそか)に是れを扱へども其の彊(しい)ゆべからざる
の事情を聞くを以て且(しばら)く身を遠地に隠し其の平穏を待たんと欲し、
其の廿一日徒弟慈含僕藤平を具し窃に山を発し出府す 是十度目。時于(じう
)衆徒此れに驚き盛師と和融に至りし旨を以て塔中惣代として久成坊、檀中惣
代として井出与五右衛門(狩宿伝右衛門の父)出府し亦タ英盛両師よりも懇請
の尊書あるを以て止を得ず其の五月初旬、久成坊等同伴にて帰山す 蓋し此の
時に当って盛師は其の先非を覚り謝表を残して下之坊へ隠遁の由し之を聞く」

この「削除」された箇所に書かれていたのは大石寺の火災の責任を問われた
時の法主・日盛の失踪事件である。「一山の大衆」とは僧たちのことで「事情」
とは大石寺の火災である。

この火事は慶応元年(一八六五年)二月二十八日夜半、大石寺大坊の下男部
屋から出火、客殿・六壺・大坊などが焼失した。このことで僧たちが日盛を追
及、前法主の日霑は、僧たちが日盛を追及するのを聞くに耐えず、大石寺を下
りた。

だが、日霑の下山を知った僧たちは驚いて日盛と和解。塔中の代表として久
成坊、檀家の代表として井出与五右衛門が日英と日盛の書簡を持参し、日霑に
大石寺への帰山を懇願。日霑が帰山すると、今度は日盛が下之坊へと遁走した。

そのため隠居していた日英が再び登座したが、高齢のため僅か一カ月で辞任。
そこで日霑が再び登座することになり、大石寺は大騒動だった。 (つづく)

 

フェイク 第1705号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年10月29日(金)13時20分44秒
  (発行=21.10.24)

日顕が論文で御書を正反対に解説
「慧妙」「大白法」の独断・偏見・妄説を破折 ⑦
「行(おこなわ)ず」を「行(ぎょう)ず」と誤読

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」十月十六日付に「創価学会の『御書』出版に思う」
と題して次のような批判記事を掲載している。

「読みやすさを重視して、仮名遣いは現代風に、改行、句読点を増加したそう
です。この点、ある〝古文書〟に『改行』が無かったために誤読し、赤っ恥を
かいたある創価幹部の悲願だったのかもしれません(公式〝サイト〟には書か
れていませんけどね)。

創価のいう『御書』の実物を見ていないので何とも言えませんが、『仮名遣
い・改行・句読点』等の位置、有無によっては、〝ある創価幹部のように〟誤
読を誘発したり、甚だしくは文章の意味が変わることすらあるでしょう」

 「慧妙」は「誤読を誘発」等々と書いているが、送り仮名もルビもなかった
御書を読み違えて正反対の解釈をしていたのは、他でもない宗門教学部長だっ
た日顕(当時は阿部信雄)だ。

それは論文で減劫御書を解説した箇所で「行(おこなわ)ず」を「行(ぎょう)
ず」と誤読して解説していたのである。(下記の添付資料を参照)。

日顕の論文の該当箇所は次の通り。

「一例をあげるならば、減劫御書に『智者とは世間の法より外に仏法を行ず、
世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり……』との仰せがある。
(中略)したがって、智者というのは、世間の法よりほかに仏法を行じているの
である。『世間の法より外に』ということは、世間の法は世間の法として行じ、
その根底に仏法を行じているということである」

このように正反対の解説をしていたのだ。

 御真蹟には送り仮名はなく「行(おこなわ)ず」とも「行(ぎょう)ず」とも読
めるが、前後の文脈から「行(おこなわ)ず」と読むのが正しい。

 大石寺発行の昭和新定御書では「ハ」を書き加え、平成新編日蓮大聖人御書
の編纂委員会の委員らは日顕の正反対の解釈を知ってか、知らずか、平成新編
では「智者とは世間の法より外に仏法を行なはず」と「なは」を書き加えて修
正している。

「慧妙」は十月一日付に意見広告を載せて「本当の仏道修行をしませんか」と
書いていた。「慧妙」執筆者は学会の広宣流布の活動に的外れの難癖をつける
のが「本当の仏道修行」だと勘違いしているのか?

 

フェイク 第1704号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年10月14日(木)14時28分22秒
  (発行=21.10.11)

公明党の活躍を称賛した日達法主
「慧妙」「大白法」の独断・偏見・妄説を破折 ⑥
政教分離を考える会の意見広告を嗤う

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」十月一日付では「歴史改竄を糺す」の欄で「学会
が行なった会員への情報操作」と題して的外れの批判記事を掲載しているのを
はじめ「新・『教宣ハンドブック』を破す」とか「創価学会の皆さんへ」と題
する「政教分離を考える会」の愚劣な意見広告を掲載し、更に「怪文書『フェ
イク』の無道な誹謗を糺す」との戯言も書いているが、笑止千万!

 このうち「歴史改竄を糺す」では僧侶不要論、寺院不要論で会員を洗脳した
とか、聖教新聞や創価新報の紙上では、僧侶は供養を貪り、私欲を満たし、信
徒の供養で豪遊三昧など信仰と全くかけ離れた記事で紙面を埋め尽くしていた
と泣き言を並べているが、聖教新聞や創価新報の記事は全て真実である。

 また「新・『教宣ハンドブック』を破す」では、日蓮大聖人が一切衆生のた
めに顕された御本尊を宗門は信徒を脅す「道具」として使う謗法を犯したとの
学会側の指摘に対して御託を並べて弁解している。だが、「破す」にはなって
いない。

宗門は学会員に本尊下付を停止するなど、御本尊を信徒支配の道具にしてき
たのが真相である。

 また、日寛上人ご書写の御本尊を「ニセ本尊」と誹謗しているが、これは既
に破折し尽くしている。

 今号では「政教分離を考える会」の愚劣な意見広告を破すことにする。

先月六日、コロナに感染して肺炎で死んだ小川頼宣の後に同会代表になった
子安潤が〝選挙活動ではなく、仏道修行をしませんか〟と言っているが、宗教
を信ずる個人が、自らの意思で選挙活動をしたり、宗教団体が政治活動や選挙
活動をすることは何の問題もない。

子安らが考えなくても、〝憲法の番人〟と言われている歴代の内閣法制局長
官が「宗教団体の政治活動は問題ない」と過去に再三、見解を示している通り
だ。

日達法主は公明党の活躍を称えて「私利私欲を離れ、民衆の味方となり、政
治を守り、憲法を守り、議会政治に忠実であるのは公明党である」と述べたあ
と「きたるべき戦いに、日本国のため、日本国民のため、創価学会青年男女の
皆さまの、一層のご奮闘を期待しております」と講演した。(昭和四十一年十
一月三日)

 この他にも公明党の躍進を称賛し、期待した日達法主の話は枚挙に暇がない。

 宗門は以前、公明党候補者の氏名・略歴を写真入りで載せ、得票数を掲載す
るなど公明党の機関誌と見まがうような「大日蓮」を発行していたのである。

 更に、日顕も教学部長だった昭和四十五年の年頭所感で「正法の大発展と公
明党の大躍進の中に迎える新春を、宗内御一同様と共に心よりお祝い申し上げ
る」と述べていた。
日顕は公明党が基盤とするのは仏法の慈悲の精神で、そこから生じるのは生命
の尊厳、絶対平和、大衆福祉だと理解していた。

 そこで、昭和六十一年六月二十六日、富士学林研究科の開講式で、日顕は公
明党が大聖人の仏法の精神を根底にして国政に参加していると喜び「公明党の
働きというものは、我々僧侶の立場からも大いにそれを理解していかなければ
ならないと思うのであります」と語ったのであった。

 

フェイク 第1703号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 9月14日(火)22時35分50秒
  (発行=21.09.12)

「酒・女・金」の醜聞で転落の人生
反逆者・小川頼宣がコロナに感染し肺炎で死去
古谷博に続き不在になった「慧妙」の執筆者

 反逆者の小川頼宣(写真)は新型コロナに感染していたが、六日午後十時、肺
炎のため都内の病院で死亡した。昭和二十一年三月生まれの七十五歳。小川は
宗門の謀略紙「慧妙」で小多仁伯(本名は古谷博。小多仁伯とは本名の音読み
をペンネームにしていた)と組み、学会批判記事を連載(左は「慧妙」の見出
しの一部) していたほか、信濃町周辺にも出没して学会の悪口を連呼するなど
の運動を続けていた。

 この小川は平成二十年、学会が著作権を有する写真を無断で複製し、そのう
え改変を加えて悪質ビラに掲載して、これを販売し、また東京都の北区や足立
区、大阪府堺市など各地で配布していた。

 更に、インターネットのウェブサイトでも悪質ビラの電子データを公表し、
ダウンロード可能な状態にしていたことがあった。

 これに対して東京地裁は、小川に対し①ビラの販売・配布の禁止②ビラを執
行官に保管させる③ビラをインターネットで送信可能な状態にすることの禁止
を命じる決定を下した。

 それでも小川は、性懲りもなく写真をイラストに変えて配布するなどの悪事
を重ねていた。

 小川は広報室の元副部長、元九州青年部長の肩書を悪用していたが、自己顕
示欲が強く、酒グセも悪かった。

 九州にいた頃は、退転した元副会長の福島源次郎に従属していた。この福島
はムンクの「叫び」に似た堕地獄の相で既に死んだが、第一次宗門問題が収束
に向かっていたのを壊した男だ。

 その弟分であった小川は「酒」「女」「金」という退転者に共通する三つの
醜聞を抱えた堕落男だった。

 なかでも金銭問題では、小川に騙された被害者が数多くいて、複数の裁判で
被告になっていた。

 この件については過去に本紙で詳述したので、今号では省略するが、借金を
踏み倒すなど、問題だらけの転落の人生であった。

 古谷博は三月に死去

 冒頭に触れた古谷博は今年三月に死去。九日に通夜、十日に告別式が世田谷
区の宣徳寺で行われていた。

 古谷も学会の元職員でありながら商売を始めて服務規程違反、加えて女性問
題や金銭問題を起こして退職せざるを得なくなった。

 その後は極悪ペテン師・山崎正友の子分になり、「慧妙」に登場し、短期間だ
け勤めた芸術部の元書記長の肩書きを悪用して学会批判を繰り返していた。更
に、「週刊新潮」の学会批判記事の情報源にもなっていた。

 古谷は脱会した後、秋元日高(広学)の宣徳寺に所属して夫婦で法華講員を
まとめる役目をしていた。

 この古谷の悪行に関しても過去に数回、取り上げた。古谷と小川という「慧
妙」執筆者の相次ぐ死は同紙編集部にとって痛手といえる。

 

フェイク 第1702号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 9月 7日(火)19時37分16秒
  (発行=21.09.04)

「井の中の蛙」の坊主が虚勢
「慧妙」「大白法」の独断・偏見・妄説を破折 ⑤
「学会の勇猛精進は大聖人の聖意に適う」

日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」九月一日付では「異流義破折」の欄で感
情的な学会批判記事を掲載している。特に、米国カリフォルニア州のオークラ
ンド市にあるSGI会館前の通りの一区間が国際社会への貢献を讃えて「池田
大作通り」と名付けられたことに難癖をつけて、次のように書いている。

「大作が何をもって国際社会へ貢献したと言うのだろう」「『一凶』とは、大
作とそれに追従する創価学会に他ならない」「邪法乱国の首魁、諸悪の根源」
「僣聖増上慢」

 このように「大白法」は宗教の機関紙とは思えない罵詈雑言を並べて唯一の
広布の団体を誹謗している。

 「大白法」は池田先生が謗法だと批判しているが、その理由を一切述べてい
ない。世間知らずの「井の中の蛙」の坊主が身内に向けて内弁慶のように虚勢
を張っている印象が強く、一般世間では通用しない。

 こんな下劣で無能な坊主ばかりだから、折伏が一向に進まないのだ。

 「大白法」編集部は池田先生の功績を知らないようなので日顕の〝指南〟を
幾つか教えてあげよう。

 「池田名誉会長の過去における七百八十万世帯までの未曽有の折伏を果たさ
れた指導性、平和文化に関する世界的な実践等を考えるとき、将来の世界に渉
る広宣流布の為、大いに必要な団体であり、人物である」 (昭和五十五年四月
六日、代替式)

 「創価学会インターナショナル会長・池田大作先生は、広く世界にその足跡
を印し、正法広布の指導と激励、さらには世界平和の大目的に向かって正宗信
徒として、偉大な精進努力を重ねておられることは、まことに本仏大聖人の聖
意に適う姿であると信じます」
(昭和五十九年四月六日、御虫払大法会)

「一閻浮提広宣流布に向かって勇猛精進される先生の姿はまことに皆様信徒の
方々の模範であり、尊いものと思うのであります」
(昭和六十二年五月二十三日、蓮覚寺落慶式)

「近年、創価学会の勇猛精進の大折伏により、この正法正義が世界に広布する
ということは、まことに釈尊の予言、宗祖大聖人の御金言、符節を合するとこ
ろであります。此の正法流布の功徳はまた、算数(さんじゅ)譬喩も能わざると
ころであります」(昭和六十一年十一月二十日、御大会)

「池田先生の構想においては下種の意味においては出来るだけ世界の著名人も
聖域に参加させ、この盛儀を見させたいというようなこともあるようでありま
して、やはりこれが将来の正法世界広布の大きな因縁となっていくものと私も
感ずるのであります」(平成二年一月七日、衆和会)

このように池田先生の広宣流布、世界平和への勇猛精進の姿を称賛する日顕
の〝指南〟は枚挙に暇がない。

また、先生の世界広布への出国と帰国の際、日顕や日潤の女房らも空港に出
向いて名誉称号等についても祝福の言葉を述べていた。

これについて「大白法」は宗門が学会と決別前の話だと書くだろう。それで
は日顕や役僧の女房らは二枚舌の嘘つきという事になる。

今では学会と宗門の対立を教義論争のように装っているが、諍いの発端は嫉
妬に狂った日顕の癇癪である。


 

フェイク 第1701号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 7月26日(月)23時24分47秒
  (発行=21.07.21)

「信心の血脈が一切の根幹」
「慧妙」「大白法」の独断・偏見・妄説を破折 ④
血脈は断絶、大謗法の日蓮正宗に未来なし

日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」と妙観講が主体となって作っている「慧
妙」が毎号、学会に対する批判記事を載せている。これらは既に破折済みの内
容なので捨て置こうと思っていたが、性懲りもなく頻繁に愚劣な記事を掲載す
るので、今号で簡潔に粉砕する。

特に、宗内の坊主からも〝記事の内容を信用すると後で困ることになる〟と
見放されている謀略紙「慧妙」は六月一日付で法体の血脈に偏向した妄説を述
べているのをはじめ、六月十六日付では一面で退転者に学会の悪口を言わせ、
三面では学会の主張に難癖をつけている。

更に、七月一日付の二面では昭和五十二年の「仏教史観を語る」を蒸し返し
て誹謗し、三面では日顕の指南を学会は切り文にして信心の血脈が根本だと改
竄している等々と述べ、更に、七月十六日付では学会が教義を改変している等
と言い掛かりをつけているが、笑止千万!

初めに、六月一日付では「『唯授一人の血脈』を葬り去りたい学会」との見
出しで、学会が破門後、日蓮正宗を「日顕宗」と卑しんでいると泣き言を述べ
ているが、これは間違いだ。

学会が破門後に「日顕宗」と呼ぶようになったのではない。日顕が相承を詐
称して〝盗座〟した後、正信会の秋山某が「日顕宗」と名付けたのである。

また「慧妙」は「日顕宗などという宗名は世界中どこを探しても存在しない」
と述べているが、それなら「慧妙」がよく使う〝池田学会〟なども世間にも通
用しない呼称と知るべきだ。

「慧妙」は御託を並べているが、要は法体の血脈が根幹だと言いたいようだ。

だが、本紙で再三、取り上げた通り、日顕は昭和六十二年四月の「霊宝虫払
大法会」で信心の血脈こそが一切の根幹だと次のように明快に説法していた。

貫主一人しか解らぬ仏法
というのは血脈の真義を
解せぬ者の囈言!

「血脈相承とは、信心の血脈がその基(もとい)をなすのであり、その信心
の血脈によって仏の本地甚深の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器
へ流れ通うのであります」
「この唯授一人の血脈も、その基本的本質は前来述べる如く信心の血脈に存し
ます」

「信解抜群にして宗祖二祖の信心の血脈を疑わず、勇猛精進するところ、僧に
あれ、俗にあれ、僧から僧へ、俗から俗へ、さらに広くその信心の血脈を伝え
つつ展転して衆生を利益することが下種仏法の相であります。その一大実証は、
近年、正法の日本ないし世界広布の礎(いしずえ)を開かれた、創価学会におけ
る初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります」

「信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。故に、大聖人より日
興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血
脈の真義を解せぬ者の囈言(たわごと)であり、信心の一念に法水が流れると
ころ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれ
ているのであります」(「大日蓮」昭和六十二年五月号)
この日顕の言葉を借りれば「慧妙」の我見は〝血脈を理解していない者の囈言
(たわごと)〟と言ってよい。

このように日顕は「信心の血脈が仏法の根幹」と断言していたのだ。この日顕
も悩乱した後は〝法主に伝わる血脈相承が根本で信心の血脈は枝葉にすぎない
〟〝法体の血脈が根本で、そこから離れて信心の血脈はない〟〝相承を受けた
以上は生身の釈迦日蓮〟など法義をねじ曲げ、歪んだ血脈観で法主の絶対化を
図ってきた。

悩乱の前と後での日顕の自語相違の説法を見ると、このニセ法主が二枚舌であ
ることが分かる。

「慧妙」七月十六日付では学会が教義を改変している等と書いているが、日顕
こそ血脈観を改変していたのである。

ところで「慧妙」は学会が日顕の指南を切り文にして云々、と非難しているが、
その日顕自身が昔から法灯連綿を否定する「血脈断絶」が持論だと知らないの
か?

日顕が本行寺(墨田区)の住職であった昭和三十三年当時、教区内の末寺の御会
式に向かう途中、同行の所化を誘って食堂に入った。そこで日顕はビールを飲
みながら〝宗門の歴史の中には血脈が切れていることもあるんだ〟等と本音を
漏らしたことがあった。

その時の会話は次の通り。
日顕 お前は、血脈というものが切れたら、どうなると思う?
所化 いけないと思います。
日顕 君はそう思うか。そりゃ、しかし宗門の歴史の中には、そういうことが
あるんだよ。
所化 あるって言いますと……?
日顕 歴史の中には切れたような感じもあるんだよ。要は「内容」なんだ。血
脈が切れたって別段いいんだと俺はそう思うが、お前はどう思う?

こんな日顕の「血脈断絶論」を聞いたその所化は、衝撃の大きさに当時のこ
とを鮮明に覚えているという。

さて「慧妙」も「大白法」も〝金口嫡々の相承〟というが、十二世日鎮は十
四歳、十三世日院は十歳で登座し、十五世日昌から十六世日就への血脈相承は
理境坊日義が「血脈相承預かり」をした。

更に、五十三世日盛は大石寺の火災の翌日に退座し、誰にも相承せずに大石
寺を去り、五十七世日正から五十八世日柱への〝血脈相承〟を預かったのは在
家信徒であった。

日顕は、こんな史実を知って血脈断絶論が持論だったから日達法主が昭和五
十四年七月、入院していたフジヤマ病院で急死した直後、受けてもいない相承
を平気な顔で「受けた」と大ウソを言えたのである。

その後に〝盗座〟した日如も当然、相承はない。このニセ法主に牛耳られた
日蓮正宗は凋落の道を転落しており、未来はない。

   大石寺の約百万坪も潔く学会に返還せよ

「大白法」は七月十六日付に退転者の体験を載せ、その前号の七月一日付「異
流義破折」欄では「大謗法の学会に未来なし」の見出しで「大石寺を謗法呼ば
わりするのであれば、潔く御本尊を返納するのが筋であろう」と書いている。

ならば、学会を謗法呼ばわりする日蓮正宗は、学会が寄進した全国の三百五
十六ケ寺を学会に返還するのが筋である。

加えて、大石寺の用地の約九割に相当する百万坪も学会が寄進した。

宗門の困窮時代を知る吉田義誠(後の日勇)は、農地開放によって総本山が所
有していた二十六万六千坪以上の土地を失ったが、「日達上人の代に至るや、
急速に総本山は発展を遂げ、現在では総計百十三万五千五百五十一坪にものぼ
る、戦前の所有地の実に四倍という広大な土地を所有するに至った」(第Ⅱ表
参照)と記して「総講頭池田先生の外護の赤誠によるものである」と述べてい
た。

日蓮正宗は学会を謗法呼ばわりする前に先に述べた三百五十六ケ寺と合わせ
て、この約百万坪も学会に返還するべきである。


 

フェイク 第1700号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 5月28日(金)13時07分49秒
  (発行=21.05.23)

江戸時代は金融業と目薬の販売
「慧妙」「大白法」の独断・偏見・妄説を破折 ③
大聖人は「法華経の行者」、坊主は「業者」

日顕の父・阿部法運が発行責任者だった「白蓮華」に掲載された広告を前号
に引き続いて紹介する。

左の広告は京都・本願寺派が推奨する「六神丸」の効能を並べて「大谷派議
制局ヨリ賞讃書賜」とか「本派本願寺事務所」「本山本法寺貫主伊藤日修猊下」
から称賛されたことを謳い文句にしているから驚愕する。

大谷派は、言うまでもなく浄土真宗の宗派の一つで、本尊は阿弥陀如来であ
り、親鸞が宗祖である。

本紙前々号で紹介したように「日蓮上人御眞筆御本尊織込純金襴」と称する
模造本尊の広告を「白蓮華」に掲載する法運(後の第六十世日開)のことだから、
大谷派や本山本法寺の貫主・伊藤日修が推奨する「日本一の大名誉薬」を機関
誌に堂々と掲載しても不思議ではない。それほど悩乱していたのだ。

ところで「大白法」五月十六日付では法華経の行者について解説し、結びの
部分では「私たちの信心修行……法華経の行者の一分として」と書いている。

だが、日蓮正宗の坊主が「法華経の行者の一分」とは笑止、法華経の行者で
はなく、〝法華経の業者〟と呼ぶのが妥当だろう。

大石寺は江戸時代、御供養の金を貧しい庶民に貸し付けて私腹を肥やし、災
害などで返済が遅れるような時は農民から貸付金を取り立てて欲しいと豆州韮
山の代官・江川太郎左衛門に哀願したことは本紙で以前、詳しく紹介した。

さて、左の図は「白蓮華」に掲載された広告ではなく、江戸時代に宗門が販
売していた目薬の看板である。

「薬方相伝之事」によると要法寺から来て大石寺の法主になった日盈が会津
の実成寺にいた時、母親が眼病を患った。その時、日盈が十七日間、断食して
祈念。その満願の折、夢に現れた日蓮大聖人より教えてもらった目薬で治療し
た結果、治ったらしい。

その後、日盈は、この目薬の普及と販売に努め、法主として大石寺に晋山し
た後、目薬の作り方を弟子の日傳に伝えた。以来、この目薬は「一子相伝の秘
薬」になり、日傳は甥の清十郎に相伝した。看板に書いてある「清三郎兵衛」
とは清十郎が改名した名前である。

「薬方相伝之事」には自宗・他宗の者に限らず題目を唱え、この目薬で治療
すれば効果があるが、疑いの心を起こせば現罰があると書いてある。〝法華経
の業者〟らしい言葉である。

 

フェイク 第1699号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 5月27日(木)13時34分1秒
  (発行=21.05.22)

宗門が機関誌に謗法の広告を掲載
「慧妙」「大白法」の独断・偏見・妄説を破折 ②
「衆生救済の爲の祈祷、呪術の宝典」?

日蓮正宗のかつての機関誌「白蓮華」の発行責任者が日顕の父親・阿部法運
であった大正年間に純金襴の「織物御本尊」の広告を掲載していた驚くべき謗
法行為を本紙前号で指摘した。

その関連として、本号では「白蓮華」が当時、どのような広告を掲載してい
たかを紹介する。

下の二種類の広告は大正年間、「白蓮華」に掲載されたものである。

まず、祈祷に関する本の広告は「空前絶後 祈祷秘要録 全」である。ここ
には「本書は祈祷界無二の寶典にして祈祷修法一切、呪術一切、御符一切、す
べて祈祷秘要録せるものにして、從来秘して傳へずと稱しつゝある非文明の沙
汰を破りて衆生救済の爲に本書成りたるものなり實に一字千金の冊子たるなり」
と驚くべき謳い文句である。

 こんな広告を載せるとは、衆生救済のため、邪宗の祈祷・呪術に頼ることを
日蓮正宗が認めたことになり、大聖人の教えに違背する。

 また、説法のタネ本「説教百座要集 全」の広告も邪宗に迎合した姿と言わ
ねばならない。

 不気味なダルマの絵は佛像、位牌、木魚、過去帳など仏具類の広告である。

 これらの広告は、ここでは紙面の都合上、縮小して載せているが、実際は「
白蓮華」の一ページを使って大きく掲載していたのである。

 当時の「白蓮華」の発行責任者・阿部法運ら宗門人は広告料が欲しいため謗
法でも構わないとの思いから載せたのだろうが、謗法厳誡の精神などは微塵も
感じられない。

 これが学会出現以前の日蓮正宗の醜態であり、宗開両祖の御精神は完全に消
滅していたのである。

 謗法の広告は次号でも紹介する。(つづく)



 

フェイク 第1698号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 5月26日(水)13時42分8秒
  (発行=21.05.21)

「本尊織込純金襴」購入を奨励
「慧妙」「大白法」の独断・偏見・妄説を破折 ①
模造本尊を法主が允可し開眼したのか?

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」五月十六日付で「御書根本」に難癖をつけ「御書
だけをとっても、それは日蓮宗等の学者と同じ土俵に立つものである」と批判
している。

 これまでも「慧妙」に限らず、「大白法」でも再三、御書根本・日蓮大聖人
直結を否定し、学会授与の日寛上人御書写の御本尊に関して法主の允可や開眼
がないと難癖をつけてニセ本尊と誹謗している。

 そこで本号では、現在の宗門坊主や法華講員が驚愕するような「日蓮上人御
眞筆御本尊織込純金襴」という広告を紹介する。

これは大聖人の御真筆の御本尊を純金襴の下地に織り込んで作ったという模
造本尊だが、この広告を大正二年、宗門発行の「白蓮華」第八巻第十号以降、
計八回も掲載していた。同誌の発行人は、日顕の父・阿部法運(後の第六十世
日開)であった(下の資料参照)。

これを掲載したのが機関誌「白蓮華」であることから、日蓮正宗の法華講員
を販売の対象にしての広告であることは言うまでもない。

当時の法主は第五十七世の阿部日正で、身延派管長の導師に従って読経・唱
題し、また、日蓮宗各派の管長らと一緒に記念撮影した破戒僧だったので、模
造本尊を機関誌に掲載しても謗法とは感じなかったのだろう。

加えて、阿部法運は第六十世法主になってから御本尊を誤写して「タダ漫然
之ヲ認タメ何トモ恐懼に堪ヘヌ」と謝罪。つまり「漫然」と御本尊を書写して
間違ったと謝ったのだが、その程度の低劣な坊主だったから謗法厳誡の意識な
どなかったと思われる。

この模造本尊は、縦が約一尺七寸余り、幅は五寸五分余りで「一枚の紺地純
金襴へ緻密巧妙に織り現はしたり」と記している。

つまり、この偽造本尊は、金糸を散りばめた紺色の地に、文字を金糸で織り
込んだ奇妙なものであった。

織物の模造本尊の業者は「御本山用達」を名乗り、偽造の本尊を「天下一品」
と称して販売していた。

しかも「一幅特價金貳圓」で、計八回も広告を出したのということは、よく
売れたからだろう。

業者が謗法行為で儲けた金を宗門は広告料として貰っていたのである。

機関誌に広告を載せて法華講員に購入を勧めていたこの模造本尊を、当時の
法主・日正は允可したのか? また、開眼はしたのか、どうだったのか?



 

フェイク 第1697号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 5月13日(木)15時32分48秒
  (発行=21.05.08)

「緊急事態宣言」下に団体登山
大石寺は都道府県間の移動の自粛を無視
東京・大阪・神戸・横浜などから参加

  世界の新型コロナウイルスによる死者数は七日現在、325万8595人に
増え、感染者数は世界で少なくとも1億5598万人を超えたということだ。

日本各地でも再び感染拡大が続いているため政府は七日、東京都、大阪府、
京都府、兵庫県に発令している緊急事態宣言を5月31日まで延長し、新規感
染者が増加している愛知県と福岡県を対象地域に追加することを決めた。

 また、緊急事態宣言に準じた対策が可能となる「まん延防止等重点措置」の
対象地域に北海道、岐阜・三重県を追加。現在、対象になっている埼玉・千葉
・神奈川・愛媛・沖縄の5県は期限を31日まで延長する。

 特に、変異ウイルスの全国的、かつ急速なまん延により国民生活・国民経済
に甚大な影響を及ぼす拡散が脅威となり、都道府県間の移動の自粛が強く求め
られている。こうした状況の中、日蓮正宗大石寺は団体登山を続けている。

 宗門関係者の話によると、5月1日(土)には約350人が東京をはじめ横
浜、大阪、神戸などから登山したということだ。

 また2日(日)も400人近くが登山。この日も東京都、京都府、愛知県な
どから大型バスや普通乗用車で登山したとのことである。

 本山では濃厚接触の機会もあるだろうし、声を出しての勤行・唱題で飛沫の
懸念もあり、「緊急事態宣言」下の登山を疑問視する宗門関係者や法華講員が
いる。

 事実、昨年8月、大石寺内で新型コロナウイルスの感染が確認され、韓国の
日蓮正宗でも集団感染が確認された。朝鮮日報の8月8日付で「集団感染の『
日蓮正宗』、日帝賞賛を理由に法人登録拒否されていた」と報道された。その
中で「防疫当局によると、ソウル市永登浦区登浦洞にある日蓮正宗ソウル布教
所で今月5日、僧侶1人の新型コロナウイルスへの感染が確認」と明記されて
いた。

 コロナに感染した僧とは、初代ソウル布教所責任者の曺(ちょ)雄理で、10
月6日に死亡。享年58歳。

当時の「大白法」で曺雄理の死亡記事を掲載していたが、「かねてから病気
療養中のところ、10月6日午後10時7分、逝去」と書き、コロナに感染し
たことは伏せていた。

加えて、中央日報では「5日に僧侶1人が最初に感染が確認されてから8日
までに15人、9日に4人が追加で感染が確認され、合わせて20人が陽性判
定を受けた」と報道された。
この前例を反省もせず、登山を続行しているのだ。

 「大白法」(平成2年9月16日付の「光明」欄では、こんな記事を載せて
いた。「私たちが最も恐れなければならないものはウイルスではなく『謗法』
である」「御本尊のもとへ世間謗法の人たちをお連れすることが今、なすべき
こと」「感染対策によって、様々に制約や自粛が求められようが、『できない』
『やってはいけない』と決めつけてはいまいか」と書いている。

緊急事態宣言で自粛を求められても「できる、やれ」と訴えているようなも
のだ。

 紙面の無駄なので長文の引用はしないが「光明」欄の駄文を書いた世間知ら
ずの山寺の坊主は「死身弘法」「不自惜身命」の意味を履き違えている。

 

フェイク 第1696号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 4月28日(水)18時08分5秒
  (発行=21.04.23)

日興上人の離山の精神に違背!
完全に形骸化した日蓮正宗の謗法厳誡 ㊦
身延派と大石寺は親しく相互に参詣

日蓮正宗大石寺は身延派坊主らの参拝・研修には柔軟、寛容であるばかりか、
日蓮正宗の僧俗が盛んに身延派の寺院に行って交流しているのも事実である。

更に、富士学林大学科の所化たちが邪宗寺院に参詣するのは恒例行事になっ
ている。これは日興上人の身延離山の精神を踏みにじる悪逆行為と言うべきだ。

本号では「完全に形骸化した日蓮正宗の謗法厳誡」の集大成として、これま
での日蓮正宗と身延派との親交の主な足跡を列挙する。

但し、余り多いので紙数の関係上、恒例行事となっている富士学林大学科の
所化の邪宗巡りなどは割愛し、主な邪宗巡りに限定した。

◆平成六年四月二十四日、東京・華王寺(前川慈肇・故人)がバスをチャータ
  ーして身延派の寺巡りツアー。三十人余の法華講員と一緒に住職の女房も参
  加した。一行は安房、小湊へ行き、鏡忍寺、清澄寺、誕生寺の順に身延日蓮
  宗の本山格の三カ寺を巡拝して回った。

◆平成六年六月十一日、埼玉・能安寺(水島公正)が「鎌倉研修」を実施。鎌
  倉の大仏、鶴岡八幡宮などの謗法巡り。この日は法華講青年部の一泊登山と
  重なっていたが、大石寺に行かず、この謗法ツアーに参加。また「研修」と
  は名ばかりで、宗門の護国寺が近くにあるにもかかわらず、夜の勤行もしな
  いでホテルに着くと宴会に興じ、翌朝も勤行をしなかった。

◆平成六年十月八日、落合尊福は長野県・信盛寺の法華講員を引き連れて佐渡
  に渡って謗法巡り。一行は身延派の妙宣寺、根本寺などを巡拝、講員は賽銭
  箱にお金を入れて合掌していた。

◆平成六年十一月五日、身延派の布教師会一行が大石寺を参拝した(前号で詳
  述)。

◆関快道は平成七年三月十二日、都内狛江市・仏寿寺の二十数名の法華講青年
  部や女房の貞子らを率いて千葉の誕生寺、清澄寺など身延派日蓮宗の寺院を
  巡拝。た(写真)。これは平成

平成五年の佐渡、翌六年の東北方面に続く三度目の謗法の寺詣でだった(写真
右)

◆平成七年六月六日、大石寺に「池上鶴林会」なる団体バスが到着。乗ってい
  たのは日蓮宗大本山の池上本門寺貫首で、この直後に日蓮宗管長に就任した
  田中日淳ら三十二人が登山してきた。この一行を歓迎して、案内したのは袈
  裟衣を身に着けた高野日海(故人、当時は本行寺住職)だった。

池上本門寺の貫首ら一行を丁重に出迎えて広布坊、三門から大客殿、御影堂、
正本堂、五重塔まで大石寺内をくまなく案内。そして蓮葉庵で手厚く接待した。

◆平成七年八月二十日、総講頭・柳沢喜惣次(故人)は、当時、阿部信彰(今は
  日明)が住職をしていた府中市・大修寺の法華講員約二十人を連れて身延山
  に参詣した(左の写真参照。青いシャツが柳沢)。夜は宴会に興じ、信彰から
  ビールなどの差し入れも届いた。

◆平成九年四月十八日、大石寺の無任所教師七人が西山本門寺の虫払いに酒や
  菓子折りなど御供養の品々まで持参して参詣した。

◆平成九年五月十・十一日、横浜市の応顕寺住職・舟橋義秀(今の日謙)が講員
  を引き連れて佐渡の根本寺、妙宣寺、世尊寺、妙照寺などを巡拝した。舟橋
  は帽子を深く被り、サングラスで変装。妙照寺の賽銭箱には講員が「チャリ
  ーン」と硬貨を入れて御供養していた。

◆平成九年七月十五日には、身延山の坊主十数人が大石寺と妙蓮寺を訪れ参拝
  した。

◆平成九年八月十七日、東京・宣徳寺(住職は秋元広学、今の日高)の所化二
  人に引率された講員が鎌倉の龍口寺、極楽寺、収玄寺、妙本寺、安国論寺、
  妙法寺などの邪宗巡りをした。

◆平成九年九月十・十一日、東京・華王寺の一行が「佐渡研修旅行様」のバス
  に乗り、一泊二日の日程で佐渡の邪宗寺院を巡拝した。

◆平成九年九月十七日には身延僧約三十人が大石寺に参詣(写真左)。大石寺坊
  主の案内で正本堂などを見学し、御影堂内では身延僧が御宝前に合掌・参拝
  した。

◆平成九年十一月十九日に伊豆長岡の身延派日蓮宗の一行が大石寺を訪問。法
  衣を着た僧が約五十人の信者を連れて参詣した。

◆平成十二年九月二十八日には「身延山大学校」の学生が大石寺に参詣した。

◆平成十二年十二月六日、身延の坊主十七人が大石寺を訪れて客殿や御影堂な
  どを見学し参拝した。

◆平成十四年十一月二十六日にも他宗坊主二十数人が大石寺に参詣した。

◆平成十六年四月十三日に 身延僧が大石寺に参詣した。(紙面の都合で以下、
  省略)
   ◇    ◇
身延山久遠寺には稲荷や鬼子母神なども祀り、参道の売店では御本尊もどき
を店頭にぶら下げ、御守り本尊をカードにして参詣者に販売している。
     ◇      ◇
大石寺用の宿坊も

久遠寺は「各門流の登山参詣の際の宿院(坊)」を定めて、その中に大石寺用
の宿坊として「林蔵坊」を用意していた。このことを大石寺は隠しているが、
身延派の資料には明記されている(左の図を参照)

大石寺は身延派とは昔から〝親戚付き合い〟を続けていたが、昭和二十七年
に学会員が登山するようになってからは表面上、疎遠を装い、特に昭和三十年
三月、学会が小樽法論で身延派を粉砕して以来、両派の交流は途絶えたかのよ
うに見えた。だが、平成三年に日顕が波木井実長を絶賛するようになってから
は大石・身延両派が急接近。それ以降、相互に登山・参詣するなど親密の度合
いを増したのだ。

 

フェイク 第1695号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 4月27日(火)17時59分24秒
  (発行=21.04.22)

大石寺が身延の布教師一行を歓待
完全に形骸化した日蓮正宗の謗法厳誡 ㊥
日蓮門下の本家は久遠寺と認めた日開

日蓮正宗と邪宗との融和路線について、前号に続いて述べることにする。身延
僧と大石寺の坊主との交流は枚挙に暇がないが、特に、平成六年十一月五日に
身延派の布教師八人が研修のため大石寺を訪問し参拝した。

その時の様子が身延派の第一部布教師会発行「布教師會報」第二〇号(平成七
年三月三十一日付)に詳しく記録されている。

「日蓮正宗総本山・大石寺研修参拝記」と題する記事は当時、身延派の布教師
会長で総本山久遠寺内の志摩坊住職・佐藤順映が書いたもので、大石寺と身延
派との親密度が良く分かる。
そこで、この「大石寺研修参拝記」を紹介する。

事前に通知し承諾得る

「平成六年度本会の布教研修会が昨秋十一月五日に実施され、参加者八名と少
数だったが、充実した内容となった」と記し、大石寺参拝を大石寺内事部に事
前に通知し、承諾を得て実施したと、次のように書いている。

「本会の名において、大石寺参拝の申請願書を送付して二十日も過ぎてから、
当局内事部の理事から応諾の電話を頂戴し」と明記。日蓮宗布教師会として正
式に「参拝」を書面で申請したのだ。

 予告もなしに大石寺を訪れた「無許可の見学」ではなかった。大石寺内事部
の理事が、身延派側に「応諾」の電話をしたということだ。

 内事部理事が勝手に身延派に「応諾」の電話を入れることはない。身延派の
布教師八人に「大石寺参拝」を許可したのが日顕であることは言うまでもない。

 身延僧が書き留めた「大石寺参拝研修記」には大石寺参拝の当日の模様が次
のように克明に記されている。

 「当日十時、身延山総門を出発し富士宮で早目の中昼(編集部注=昼食)を済
ませ、先に大本山北山本門寺を参拝し、懇ろなる御開扉と執事の御挨拶を受け
た後、開山日興聖人御廟等を巡拝し、予定の二時に大石寺総門に到着した。

 門をくぐると間もなく洋服姿の一人の青年が近づいて来て確認をとると先に
進む様指示され、三門を通り両脇に十二ヶ坊程の宿坊の前を抜けた左手に唐破
風造りの古風な鬼門を通ると、いきなり広大な広場と巨大な鉄筋五階建ての大
客殿前に着いた。ここで若手の案内僧が出て来て内部へと導かれた」
身延派の坊主八人が大石寺の坊主の案内で大客殿の内部に入ったのだ。

 「大石寺研修参拝記」には大客殿内部の様子が綴られている。

 「総面積一万四百五十五平方メートルに及ぶだけに、かつて創価学会員が連
日数千人単位で押し寄せた建物と感心した。三階から上が吹き抜けになってい
るが丑寅勤行の場所としても使われているだけに、板曼茶羅もどきの御本尊を
真ん中に、左右に祖師像、興師像を安置し、本宗の内陣に当たる一段高い板敷
きの部分には何もなく、左手の畳の上に導師用礼盤を中央に向け配置されてお
り、大変疑問に思い質問した所〝参詣の信徒が直接御本尊に面奉する為にある
〟と云う事であったが、我々の感覚とはなじまない感じであった」

 大石寺の坊主が丁寧に身延僧を案内したのに「板曼茶羅もどきの御本尊」と
揶揄されている。このあと「参拝記」は大石寺境内の模様も伝えている。

 「当日は土曜日にて各地の法華講○○支部という団体が二十名、三十名単位
で六、七組境内を引率されていたが、往年の雑踏とは比較にならないであろう」

 日蓮宗の布教師たちは、大客殿内部を見学した後、正本堂へ。「正本堂へと
案内されたが三メートルもあろうかと思える頑強な塀が巡らされ、出入口には
正装した門番が立ち、扉が開かれ一歩ふみ入れると噂にたがわぬ壮大な石とコ
ンクリートの建物と広すぎる境内が現出した」

 更に、身延派の布教師会長・佐藤順映は、大石寺が異様な程、閑散としてい
たとの感想を書いたあと「時の推移とは云え過去頑迷なまでに他宗には門戸を
開かなかった大石寺が、堂内外の案内に応じたという変化を我々は機敏にとら
え、柔軟な姿勢に最大限の評価を下し、更に日蓮門下の一員と云う連帯感の醸
成に陰に陽に働きかける絶好の機と思うが如何であろうか。

 二時間以上に亘って懇切なる案内をしてくれた教師から、ほどなく一通の礼
状が届いた。

 〝皆様の暖かなお心に触れ、外はめっきり寒くなっていたにも拘わらず、暖
かな気持ちで御案内申し上げることができましたことを感謝しております〟と。

 察するに今置かれている大石寺の立場を鮮明に表しているものと理解するが、
うがち過ぎだろうか」
この礼状も日顕の指示で送ったと思われる。

大石寺は他宗に対し「柔軟な姿勢に」

 身延僧の佐藤順映が書いている通り、大石寺は「謗法厳誡」から「柔軟な姿
勢」に変貌したのだ。

 日顕の悩乱によって、大石寺は外護の大功労者や信徒には冷酷になり、謗法
者には寛容で、邪宗坊主の参拝に対して礼状も送るように変わった。大石寺が
日興上人の御遺誡を踏みにじっているのが明白だ。

 加えて、日顕の父・日開は日蓮門下の本家が久遠寺だと認め、勅額降賜に手
を貸したことで知られる。

 昭和六年に日蓮宗各派が合同で大聖人の「立正大師」号の「立正」の勅額請
願運動を起こした時、天皇から下賜される勅額(写真)を、どこの寺に掲げるか
というのが問題だが、日開は身延派を破折するどころか、今まで大石寺にある
と主張してきた大聖人の「正墓」が身延山久遠寺にあると認めて念書まで書い
た。日興上人が決別された身延山に日開は屈服したのだ。

 それによって「立正」の勅額は身延山久遠寺に掲揚されたのである。日開が
時の文部大臣に提出した念書の文面は次の通り。

「  念  書
宗祖日蓮聖人立正大師六百五十遠忌ニ際シ 御廟所在地山梨縣身延山久遠寺住
職 岡田日帰ヨリ及請願候 立正大師勅額御下賜ノ件ハ 本宗ニ於テモ異議無
之候條 速ニ御下賜有之候様 御取計相成度候也
昭和六年六月十二日
 日蓮正宗管長
     阿部日開 印
文部大臣 田中隆三殿 」

 身延派は大聖人の正墓が身延山にあり、身延派が大聖人門下の本家であるこ
とを確認させる狙いがあり、これに日開は同調したのだ。

 六老僧の一人・日向は弘安八年(一二八五年)に身延に登山し、日興上人か
ら学頭に任じられたが、翌年頃から軟風に侵されて邪義を唱え始めた。

 波木井も日向の邪義の影響により、①一体仏の造立 ②二所(箱根・伊豆の
両権現)と三島神社の参詣 ③九品念仏道場の建立 ④福士(山梨県南巨摩郡南
部町福士)の塔供養の四つの大謗法を犯した。

 そのため日興上人が断腸の思いで身延を離山されたが、日開は日興上人の精
神を踏みにじったのだ。

 

フェイク 第1694号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 4月27日(火)01時28分57秒
  (発行=2021.04.21)

日顕が本門正宗の邪僧と親交
完全に形骸化した日蓮正宗の謗法厳誡 ㊤
身延僧や国柱会の幹部にも御開扉許す

 日蓮正宗の謀略紙「慧妙」は下劣な記事ばかりなので、ほとんど読まないが、
たまたま手にした四月十六日付には学会批判の劣悪な記事を掲載している。「
ここまできた創価学会」と題する連載では謗法厳誡を日興上人が厳格に守られ、
その後も時の法主が今日まで謗法厳誡のあり方を伝えていると述べ、学会の謗
法厳誡は形骸化し、破門以降、邪宗との融和路線が急速に進んでいる等と的外
れの難癖をつけているが、笑止千万!

 日蓮正宗こそ謗法と内紛、腐敗・堕落の道を辿ってきた。大石寺が富士山の
西南の麓に位置することを宣伝文句に転用して「富士の清流」と称している。
だが、「清流」だったのは開創の当初と学会が外護していた期間などに限られ
る。

 大石寺の最初の内紛は、早くも第三祖・日目上人の死後に起こり、僧の本分
を忘れた者たちは相続争いや権力闘争に明け暮れ、清流は次第に濁流となり、
泥流になっていった。

 室町時代には日有上人の留守中、阿闍梨號をもっていた三人が大石寺を売却
し、同上人が帰って買い戻して三人を追放。江戸時代を経て今に至る紆余曲折
の歴史を見ると、謗施を受け、供養の金を資金に金貸し業を営むなど俗悪な処
世術で生き延びてきた。

 身延派の学僧・宮崎英修は晩年、「大石寺は昔から時の権力者に諂(へつら)
うなど、クネクネと曲がって細々と生き延びてきたので、私たちは『針金宗』
と皮肉を言っている。だが、大石寺は『針金宗』を誉め言葉だと勘違いしてい
るから面白い」と苦笑していた。

 大石寺は人材不足で邪宗の要法寺から造仏読誦の謗法僧・十七世日精など九
人の法主を迎えた。その後、江戸時代に第二十六世日寛上人の出現によって濁
流が一時期、浄化された。

 だが、その後も浅間神社に御本尊を納めた三十三世日元、貧しい農民らを相
手に金融業を営んでいた五十一世日英、激しい確執を続けた五十二世日霑と五
十三世日盛、国柱会幹部ら謗法者に御開扉をさせた五十五世日布、日露戦争の
時に戦勝守護の御本尊を大量に配布した五十六世日応、身延派管長の導師で読
経・唱題した謗法同座の五十七世日正、クーデターで追い落とされた五十八世
日柱、御本尊を誤写した日顕の父の六十世日開、妾狂いで背任罪の六十一世日
隆、神札甘受の罰で焼死した六十二世日恭、神本仏迹論の邪説を唱えた小笠原
慈聞を密かに僧籍復帰させた六十三世日満らによって大石寺は濁流となってい
た。

 謗法の山寺だった大石寺は、学会の外護によって守られ、繁栄した。五十九
世日亨上人が、もっと早く学会が出現していたら宗門はこんなに滅びなかった
と言われていた通りだ。
************************
日隆の妾狂いに関する
読売新聞の記事の一部
************************
 ところが、相承を詐称して「法主本仏論」を主張した日顕によって日蓮大聖
人の御精神は大石寺から完全に消滅したと言ってよい。

色紙二枚に揮毫し贈呈

 謀略紙の「慧妙」は学会が〝邪宗と融和〟等と見当違いの戯言を書いている
が、日顕が邪僧の小野寺日了と親交を深めていた事実について釈明できるのか


 小野寺について、顕正会の浅井昭衛は「にわか坊主」と非難したことがある
が、ペテン坊主と言った方が適切かもしれない。本名は小野寺直だが、「本門
正宗・富士山久遠常在院本門寺の上行院日了上人」と名乗り、日目上人の直系
の子孫で、今の大石寺の坊主はニセ坊主だと豪語する邪僧である。「大石寺の
坊主はニセ坊主だ」との表現は的を射ているが、それ以外はデタラメである。

 日顕は、この小野寺と親交を結び、驚くことに色紙二枚に染筆(揮毫)して贈
っていた(左の写真参照)。

 そのうちの一つは「為 小野寺直氏 見雨猛知龍大 昭和己未初秋 日顕花
押」と記し、二枚目は「為 小野寺直氏 見花盛知池深 昭和己未初秋 日顕
花押」と書いていた。

 日顕が色紙に書いたのは御書に「雨の猛きを見て竜の大なるを知り 花の盛
なるを見て池の深きことを知る」と記されており、この御文を日顕が借用して
書いたのである。

 また「昭和己未(つちのと ひつじ)とは、昭和五十四年のことであり、相承
を詐称して七月に〝盗座〟した後の初秋、御書から抜粋した御文を揮毫して宗
教詐欺師のような邪僧に贈っていたのだ。この一事を見ても、 〝邪宗と融和
〟していたのは日顕自身だと言える。

 平成三年八月、全国教師講習会では、予定していた「十不二門」の講義を変
更して、小野寺日了について長々と批判し続けた。突然の小野寺批判を不審に
思った受講者も多かったようだ。

 実は、この前月は学会による登山会を取り止めて添書登山に切り替えるなど、
宗門が学会に対する圧力・攻撃を強めた時であった。

 こんな時に二枚の色紙に揮毫して邪僧に贈り、親しく交流していた事実を学
会側に指摘されるのを恐れた日顕が慌てて小野寺を批判してわが身を守ろうと
したのである。

邪宗邪義の輩も参拝

 五十五世日布が国柱会の幹部だった山川智応、長滝智大、宗教学者の姉崎正
治博士ら謗法者に御開扉を受けさせたことは本紙で再三、紹介したが、今から
二十五年も前になるが、富士宮市内の日蓮宗本源寺の僧・本間俊牽(当時、八
十三歳)は次のように語っていた。

 「大石寺は昔から〝争いの寺〟なんて言われていましたがね。それで貧しく
てね。今は学会のお陰で大石寺の坊さん達も皆、経済的に太ってますがね。私
は昭和の初め頃ですが、えー、五年間ほど大石寺へ時々、通っては御開扉を受
けてました。向こうの方から頼まれて行っていたんですよ」

 この身延僧が、御宝蔵に行く度に大石寺の高僧が案内してくれて一緒に礼拝
し、親しく懇談して資料なども寄贈して貰ったことがあるとのことだ。

 当時の法義研鑽委員会の坊主たちが「邪宗邪義の輩に礼拝を許すわけがない。
これは宗祖大聖人の御教示であり、宗門七百年の鉄則」と述べていたことが嘘
だと分かる。

 かつて本間俊牽は六十二世日恭の板本尊が安置された大石寺近郊の文殊堂で
毎年八月、勤行し、そこには法華講員も参加していた。
************************

 

フェイク 第1691号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 4月13日(火)13時51分32秒
  (発行=21.02.10)

法華講から供養を集め普請道楽
日蓮大聖人の聖誕八百年と日蓮正宗 ㊤
折伏は低迷なのに「誓願達成」と虚偽の発表

日蓮正宗では日蓮大聖人の聖誕八百年に際し、出来てもいない法華講員八十
万態勢構築を「達成した」と虚偽の発表。また、慶祝記念と称して法華講から
莫大な供養の金を集めて大石寺墓地の整備をはじめ鬼門・五重塔・二天門の修
復、客殿周辺の敷石の張替え等を成し、このほど三門の改修が完成したと自慢
している。

 だが、これは日如ら坊主の自己満足に過ぎない。

大聖人は松葉ヶ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、龍の口の法難、佐渡流罪
など大難に次ぐ大難のなか、全人類の不幸を根絶するため妙法弘通の尊い不惜
身命の戦いを続け、佐渡から帰られた後、幕府側が寺院の寄進を申し出たが、
これを拒絶されたことは有名だ。

身延山でも粗末な草庵を結んで立正安国の大義を説き、令法久住に努められ
た。死んだ日顕や日如のように豪邸や豪勢な寺院の建立を望んではおられなか
った。

建物の改修だけで民衆救済の精神を失った今の宗門を大聖人は嘆かれている
に違いない。

信徒の金で自分たちの建物を改築するしか能のない日蓮正宗は阪神淡路大震
災や東日本大震災など非常事態の時にも救援活動などはしなかった。

聖誕七百年の時は謗法と同座!

 今から百年前の聖誕七百年の際、日蓮正宗は日興上人の謗法厳誡の精神を踏
みにじった事実を指弾する。

大聖人の聖誕七百年に当たり、顕本法華宗の本多日生は天皇より日蓮大聖人
に大師号を賜りたいと思い付いた。

伝教大師、弘法大師と同様の大師号が欲しいと日蓮宗各派管長に呼び掛けた。

大正十一年九月十一日、日蓮門下各派の管長が連名で天皇より大聖人に大師
号を賜りたいと請願した。

「日蓮聖人大師号降賜請願」と題する請願書に署名した各派管長は以下の通り。
日蓮宗管長 河合日辰
日蓮正宗管長 阿部日正
顕本法華宗管長 本多日生
本門宗管長 瀬島日濟
本門法華宗管長 尾崎日暲
法華宗管長 津田日彰
本妙法華宗管長 清瀬日守
日蓮宗不受不施派管長 釋日解
日蓮宗不受不施講門派管長事務取扱 佐藤日柱

 これに対して、宮内大臣より「立正大師」の宣下書が下された。添え状には
「日蓮宗各派管長
今般 特旨ヲ以テ其宗宗祖日蓮へ大師号宣下候事
大正十一年十月十三日 宮内省」と記されていた 。(右の写真参照)
(つづく)
 

フェイク 第1693号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 3月 1日(月)17時58分25秒
  (発行=21.02.25)

布教できず「観光仏教」に傾く日蓮正宗
日顕が日達法主の頃に植樹した桜を伐採
以前、春は桜色に染まった大石寺一帯

大石寺の〝桜便り〟が、このほど宗門関係者から届いた。二月下旬とは思え
ない温暖な日が数日間、続いた本山周辺では桜花が咲き始めて休日には撮影の
ため、早くも本山外周を周回する車両が見受けられるという。

以前は万朶と咲き誇る桜の木に包まれていた大石寺一帯は春になると桜色に染
まり、上空の機内からも見えたとのことだが、日顕の指示で大量の桜が伐採さ
れた今、そんな絶景は残念ながら見られない。それでもまだ他の地域よりは桜
の木が多く、観光や撮影に訪れる人が後を絶たないようだ。

 大石寺及びその周辺の約十万本の桜は正本堂建立に伴い、信徒の真心によっ
て植樹された。それを嫉妬に狂った日顕は正本堂、大客殿等の建物の破壊だけ
ではなく、桜の木も切り倒した。

 日顕は「C作戦」後の平成四年十一月から翌五年の初めにかけて総坊前の桜
二百七十八本を伐採させたのをはじめ常灯ケ峰一帯の桜を約二百本、総一坊の
南側や総二坊の西側などで約九十本、五重塔の北東に位置する北の山駐車場周
辺で約二百三十本と、滅多切り。

 平成十六年には桜の名所になっていた「池田山」の桜を伐採して大規模な駐
車場を完成させたが、これは殆ど使用されていない。

当初は「テングス病の伝染を防ぐための『間引き』にすぎない」等と釈明して
いたが、「間引き」どころか、何処も此処も丸坊主にしてしまった。

例え、テングス病でも病気の枝を切り落とし、健康な枝を生かしていけば正常
な桜に戻すことができる、とは専門家の見解である。

日顕は日達法主の時代に植樹された桜を憎んでいたのだ。

 謀略紙「慧妙」は大石寺の桜の木を伐採していないかのような欺瞞の記事を
過去に何度も掲載していたが、大石寺が大量の桜の木を切り倒したのは事実で
ある。
**********************
上の写真は日顕の指示で伐採された桜の木の一部

身延と並ぶ観光コース
このパンフレットによると、身延山久遠寺、及び大日向観音堂の「しだれ桜」
コースと並び、会席料理の昼食の後、大石寺のソメイヨシノ、枝垂れ桜を楽し
むという企画であった。

布教ができない日蓮正宗は身延派などと同じように広宣流布とは無縁の「観
光仏教」になり、大石寺は奈良や京都の観光寺院と何ら変わらない寺に成り果
てるに違いない。

添書登山に変更し疲弊

平成三年七月、宗門は檀徒作りを目論んで添書登山に変更したものの、法華
講員の〝チョボチョボ登山〟になって疲弊した。そこで宗門は早くも翌四年に
は観光地化に目をつけた。

大手旅行会社のパンフレット「旅人ロマン物語・春の旅」では「お手軽に春
満喫の日帰りプラン」を特集。その中に「大石寺の枝垂れ桜と富士宮の下馬桜」
が新しい企画として登場していた (左の写真参照)。大石寺が桜見物の観光コ
ースに入ったのだ。

この企画は、大石寺が平安神宮、銀閣寺、永平寺、勝持寺(花の寺)、醍醐寺、
三宝院、華厳寺(西国三十三番満願霊場)、西明寺、金剛輪寺などを巡るコース
と並んでいた。大石寺は、これら神社仏閣と同じような観光コースになったの
である。

その日帰りコースの「春の嵐山と花の寺を訪ねて」は大原野神社、勝持寺(花
の寺)、醍醐寺・三宝院を見学。「京都さくら物語」というコースでは平安神
宮、銀閣寺などを巡る。「国宝・彦根城の桜と湖東三山を訪ねて」のコースは
彦根城から西明寺、金剛輪寺、百済寺などを訪ねる。「根尾の淡墨桜と谷汲山
・華厳寺」のコースは華厳寺、横蔵寺に行き、「京の春の物語」は平野神社な
どを見物する。「勝山の弁天桜と永平寺」コースもある。

これらの企画は観光寺になり下がった邪宗寺院の桜を見て回ることになるの
だが、そこに大石寺の桜見物が新たな企画として登場していたのである。

その「大石寺の枝垂れ桜と富士宮の下馬桜」は白糸の滝から狩宿の下馬桜の
あと大石寺の枝垂れ桜とソメイヨシノを見物。料金は大人一人七千円、小人六
千五百円であった。

大石寺が平安神宮、華厳寺、百済寺、西明寺、金剛輪寺などと並んで観光寺
のようになっていた訳だが、宗門は謗法厳誡を期して大石寺を開創された日興
上人の嘆きがわからないのか?

この点を過去にも指摘した際、宗門側は「旅行会社が勝手に企画したもので
大石寺は関知していない」と弁解していたが、「枝垂れ桜」といえば、三門か
ら二天門にかけての塔中の桜だろう。これを見て回るのを旅行会社が勝手に企
画したのか? 平成二十八年には本住坊を休憩場所にしたチラシも配布してい
た。下手な逃げ口上は通用しない!

大石寺の桜は大量に伐採されたが、それでも他の地域よりは桜の木が多いた
め、平成二十四年には身延山久遠寺と共に大石寺見物の日帰りコースが某旅行
会社で企画され、パンフレットに写真入りで紹介された (左の写真参照)。

 

フェイク 第1692号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 2月14日(日)18時53分12秒
  (発行=21.02.11)

五十七世日正は邪宗の僧と記念撮影
日蓮大聖人の聖誕八百年と日蓮正宗 ㊦
身延派管長の導師で勤行・唱題も

今から百年前の聖誕七百年に際し、顕本法華宗の管長・本多日生の呼びかけ
に応じて大石寺の第五十七世日正が日蓮宗管長らと連名で宮内大臣に出した請
願書に対し、大正十一年十月十日、宮内省より「日蓮宗宗祖日蓮へ諡號宣下候
間來ル十三日午前十時參省可有之候也」との知らせが各派の管長宛に届いた。

 日蓮大聖人御入滅の日に当たる十月十三日、日正は日蓮宗管長の磯野日筵、
顕本法華宗の本多日生、本門法華宗管長の尾崎日暲、本門宗管長・瀬島日濟の
代理の井上日光、法華宗管長・津田日彰の代理の荒川日治、本妙法華宗管長の
清瀬日守の代理・蓮池順良、日蓮宗不受不施派管長の釈日解の代理・鷲日耀と
一緒に宮内省に出向いて行った。

 ここで宮内大臣より宣下書が下された。大師号は「立正大師」。各派管長を
代表して顕本法華宗の本多日生が宮内大臣より宣下に関する「謹話」を承り、
その後、一同は宣下書を拝受して宮内省を退出、築地水交社に向かった。水交
社とは海軍省の外郭で海軍将校のための親睦団体であった。

ここで日蓮宗管長・磯野日筵の導師で一同が揃って寿量品を読経・唱題。日
蓮正宗の阿部日正が挨拶したことも記録に残っている。

 下に掲載したのは、この日、記念撮影した問題の写真である。阿部日正が前
列右の顕本法華宗の管長・本多日生と日蓮宗の管長・磯野日筵との間に立って
写っている。磯野日筵の左は本門法華宗の管長・尾崎日暲で、後列はそれぞれ
管長の代理で出席した本門宗、法華宗、本妙法華宗、日蓮宗不受不施派の坊主
である。

日蓮正宗の管長が身延派管長の導師で勤行しても宗内で問題視されなかった。
学会の出現以前の宗門は謗法同座も容認されていて、学会と別れた平成三年以
降は謗法体質に戻っている。

その主な実例を挙げると、平成六年十一月五日に身延派の布教師会一行が大
石寺を参拝し宗門が歓迎。翌七年六月六日に池上本門寺の貫首ら一行が大石寺
を訪問した際、高野日海らが歓待。同年八月には総講頭・柳沢喜惣次が大修寺
の信徒を連れて身延山に参詣した。

また、同九年四月十八日に宗門の無任所教師七人が西山本門寺の虫払い法要
に参列。同年九月十七日には身延派の僧侶約三十人が大石寺を参詣。同十二年
十二月六日には身延僧十七人が大石寺を訪問した。

同十四年十一月二十六日に本門法華宗の坊主二十人が黒装束で大石寺を見学。
同十六年四月十三日には身延派の僧が大石寺を訪問した。以上は氷山の一角に
過ぎない。

こんな謗法体質の日蓮正宗が大聖人聖誕八百年を記念して山門を改修したと
自慢し、一月十五日には日如らが「三門通り初め」をして得意満面であった。
だが、「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」で謗法の法主が支配する大石寺
は日蓮大聖人とは無縁の寺である。

 

核兵器なき未来へ

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 1月22日(金)22時57分42秒
  TOKYO MX 地上波9ch

2021年1月24日(日)20時~20時30分 放送



 

フェイク 第1960号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 1月16日(土)23時27分33秒
  (発行=21.01.16)

富士宮の法華講員を贈賄で逮捕
大石寺の仕事を欲しさに宗門にすり寄る
自宅購入費を供与、贈答・接待を繰り返す

日蓮正宗の法華講員が、また逮捕された。この度、逮捕されたのは富士宮市
上条の建設会社「佐野藤建設」の社長・後藤元光容疑者(七四歳)である。

この後藤容疑者は元学会員だったが、二十年以上も退転状態で活動しないば
かりか、学会を激しく批判して組織の人達に嫌な思いをさせ、平成二十八年十
月に退会。大石寺の仕事が欲しいため、日蓮正宗にすり寄っていた。

後藤容疑者らの逮捕は静岡新聞の十日付から十三日付まで連日にわたって報
道された。静岡新聞十日付の記事から紹介する。

林野庁発注の公共工事で特定業者に便宜を図る見返りに現金を受け取ったと
して、富士宮署と静岡県警捜査二課は九日、収賄容疑で同庁関東森林管理局天
竜森林管理署(浜松市浜北区)の総括森林整備官・岩崎隆裕容疑者(四九歳)
を逮捕。また現金を供与したとして贈賄の疑いで佐野藤建設の社長・後藤元光
容疑者を逮捕した。

岩崎容疑者の逮捕容疑は同管理局東京神奈川森林管理署(神奈川県平塚市)
の総括森林整備官を務めていた平成三十年十二月頃、佐野藤建設が同年九月に
受注した同管理署発注の林道改良工事(神奈川県山北町)に関し、工事の監督
職員の立場を利用して工事請負代金の増額を示唆したことに対する謝礼として
現金数百万を受け取った疑い。

 後藤容疑者の逮捕容疑は同年十二月頃、工事請負代金の増額を示唆してもら
ったことに対する謝礼として現金を支払った疑い。

捜査関係者によると、現金は手渡しで授受され、計二百万円に上るとみられ
る。

更に、同新聞十一日付によると、県警は岩崎容疑者が逮捕容疑の対象となっ
た林道改良工事の他にも後藤容疑者に便宜を図っていた可能性があるとみて調
べを進めている。

関係者によると、岩崎容疑者は平成二十四~二十五年頃、県中部で自宅を購
入するなど不動産を相次いで取得。後藤容疑者から自宅購入費の一部として一
千万円近くを受け取り、佐野藤建設が所有する土地を割安で提供されたりした
という。

 林道改良工事を巡る贈収賄事件で富士宮署と県警捜査二課は十日、天竜森林
管理署や佐野藤建設などを家宅捜索。佐野藤建設の本社には午前十時頃、捜査
員九人が入り、約二時間半後、関係資料が入ったとみられる段ボール箱を持ち
出し、車両に運び込んだ。

同新聞十二日付によると後藤容疑者側から岩崎容疑者に対して贈答品を送り、
飲食などの接待も定期的に行われていたという。

富士宮署は十一日、収賄容疑で岩崎容疑者を、贈賄容疑で後藤容疑者を静岡
地検に送致した。

昨年十月は講頭を逮捕

 法華講員の犯罪は、これまで金に困ってのサラ金強盗、生活保護費を搾取す
る貧困ビジネス、架空リース話で巨額の詐欺、損害賠償金を得るため故意に交
通事故を起こす当たり屋、覚せい剤所持、婦女暴行、公文書偽造、競馬のノミ
行為、公金横領などがあった。

最近では日蓮正宗の興源寺(茨城県笠間市)の講頭で総代でもある福島軍公が
昨年十月、詐欺で逮捕され、茨城新聞で報道された。

 

フェイク 第1689号

 投稿者:宿坊  投稿日:2021年 1月 5日(火)22時16分11秒
  (発行=21.01.02)

狡猾な日如が欺瞞の「新年の辞」
八十万人体勢の誓願を達成と虚偽の発表
焦った勧誘で成果は低迷、参詣者は激減

 日蓮正宗の坊主と法華講員は機関紙に掲載された日如の「新年の辞」を一読
して唖然としているという。

 「宗門は此の大佳節を迎えるに当たり、『法華講員八十万人体勢構築』の誓
願を立て、僧俗一致・異体同心して、勇猛果敢に折伏戦を展開してきた結果、
日本国内寺院所属の法華講員の総計が八十万人を超え、見事誓願を達成するこ
とが出来ました」

 狡猾老獪(こうかつろうかい)な日如は誓願を達成したかのような言い回しを
しているが、達成感など微塵も感じていない宗内僧俗は白けきっている。勧誘
の責任者である布教部長・阿部日明(信彰)や他の坊主らも誓願を達成した喜び
など述べていない。

 日如が「平成三十三年(令和三年)迄に法華講八十万人体勢構築」という目
標を末寺坊主と法華講に押しつけたのは平成二十一年七月だった。あれから約
十年間、末寺坊主と法華講はノルマに苦しみ、成果は頭打ち。僧俗指導会や広
布推進会などを頻繁に実施したのをはじめ、成果の悪い末寺坊主を本山に呼び
つけて恫喝したり、強制的に隠居に追い込んだり、日如らは苦心惨憺していた
が、折伏は一向に進展しなかった。

 特に、昨年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で八十万人体勢構築が絶
望的になり、宗内では折伏について殆んど言われなくなったが、有力な宗門関
係者は「出来なくても達成したと発表する結論は決まっている」と語っていた。

 八十万を目指して勧誘を始めた平成二十二年からの十年間で全ての末寺が年
間目標を達成したのは同二十四年の一度だけ、他の年は惨憺たる状況で、特に
昨年は全体の2%にあたる13ケ寺しか目標を達成できなかった(十月末の時
点)。

 こんな状況で唐突に「見事誓願を達成することが出来ました」と発表しても
信用する者はいない。寺への参詣者も激減している。

宗門と顕正会は同罪

 顕正会の浅井昭衛が昨年十一月度の総幹部会で二百二十二万人を突破したと
発表。これに関して「慧妙」一月一日付が「二百二十二万人といっても、かな
り多くが、本人に自覚もないのに入会したことになっている『幽霊会員』や、
あるいは、顕正会の実態に嫌気がさして完全に辞めてしまっている『退転者』
である」と非難。誤報が多い「慧妙」にしては珍しく的を射た記事だが、顕正
会のデタラメな成果と同じことが日如の〝誓願達成〟にも言える。

 相手の幸せを願う折伏ではなく、成果に焦っての暴走行為だ。例えば、街中
で見知らぬ人に手当たり次第に声を掛ける〝街頭折伏〟や寺の前に立って通行
人を誘い込む〝呼び込み折伏〟、更に予告なしで他人の家に押し掛ける〝訪問
折伏〟は序の口で、信者への〝再授戒〟や法事に参列した人を「故人の供養の
ため」等と言って成果にしていた。

 また、五百円硬貨を渡して寺に誘って授戒する〝ワンコイン折伏〟とか女性
講員が路上生活の男達に甘い言葉で接近して寺に連れ込む〝デート折伏〟等で
ある。これらの愚挙に怒った講員が本紙に通報してきた。

 こうして〝幽霊講員〟は増えても誓願は未達成だ。

 

フェイク 第1688号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年12月18日(金)17時47分52秒
  (発行=20.12.12)

国家神道に染まった法主に厳罰
大石寺のお会式と日蓮正宗の戦争責任 ㊦
日恭の焼死は数々の不運が重なった結果

 開戦を待望していたかのように早々に「訓諭」を発したのをはじめ軍部権力
に迎合して謗法を犯した日蓮正宗とは対照的に学会の牧口会長は死身弘法を貫
いた。

 昭和十九年十一月十八日、牧口会長は一年四カ月間の拘留の末、東京拘置所
の獄舎で逝去。大聖人門下としての信念を貫いた崇高な殉教であった。

 反対に国家神道の謗法に染まった日蓮正宗は、翌二十年六月十七日、大石寺
が紅蓮の炎に包まれ、法主の日恭は書院に祀られた神棚と共に焼死した。

 この日の夜半、対面所から出火した火災は大奥、書院、客殿等を焼き尽くし
た。

 宗門は火災の原因が「兵隊(朝鮮)」と説明しているが、老僧は所化の火の不
始末と述べていたという。

「毎日新聞」は火事で管長の日恭は「逃げ遅れて焼死」(昭和二十年六月十九
日付)と報道した。

 その死は宗門が弁解しているような「覚悟の死」とか「自決の道を選ばれた」
というものではなかった。

 日恭が逃げ遅れたのは、歩行が困難であったからである。日亨上人は日恭の
「生活について」の中で次のように書き残している。

「(日恭は)酒は一升程も飲んでいたが、酩酊して前後不覚になることはなか
った」という。余程の大酒飲みだったようだ。

 また「脂肪は摂取過ぎ」だったとのことだから、肉食を好む生臭坊主だった
ことが分かる。更に「運動不足の為か老年にはビヤダル(樽)式に腹部が肥満
して不格好で不健全の体に見え足弱であった」「阿蘇火山に誘引せし時の先達
の愚老が大に迷惑して世話のやけた事夥しかった。山登りばかりで無く、平地
の歩行も予が健脚には及ばず」と。

 この日恭(写真)の焼死は不運が重なった結果であった。日恭の死後、管長代
務者を勤めた能化の中島日彰が、大火から三カ月後に東京・妙光寺で語った記
録によると、次のような不運が重なっていたとのことだ。

 ①日恭は耳が悪くなり、上井出地区の寿命寺に逗留して、その近くの陸軍戦
車学校の軍医に治療をうけていたが、この日に限って、わざわざ登山した②有
力信徒が登山すると連絡があり、無理を押して登山したが、その信徒は急用で
来なかった③上井出から迎えが来たが、それを断って大奥に泊まった④大石寺
には当時、朝鮮義勇軍の農工隊が駐留していたが、日本人将校は農工兵達に脱
走の恐れがあるため、消火に協力させなかった⑤日本人将校は農工兵達が脱走
しないように見張りをして消火活動しなかった⑥大石寺門前に消防車があった
が故障で動かなかった⑦駆けつけた戦車学校の消防自動車はガソリンを忘れた
ため役に立たなかった⑧富士宮消防署は準備を整えたが、署長不在で出動命令
が出なかった。

 こんなに不運が重なったのは仏罰のためと言えよう。

 現在、宗門は盛んに「法華講八十万体勢構築だ、折伏せよ」と法華講員に檄
を飛ばしているが、戦争で多大な迷惑をかけた海外の国や地域に対して戦争加
担の謝罪をしないで、布教することは道義的に許されない。


 

フェイク 第1687号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年12月17日(木)22時41分35秒
  (発行=20.12.10)

保身の宗門は特高警察に泣き付く
大石寺のお会式と日蓮正宗の戦争責任 ㊥
「神札破棄など会員の不敬は本山と無関係」と

 戦時中、軍部政府は国家神道による思想・宗教統制を図り、これを拒んだ教
団に対しては「治安維持法」「不敬罪」を適用して弾圧した。それにより、勤
行の観念文の改変、御書の御文十四カ所の削除などに踏み切った日蓮正宗のよ
うに、殆どの宗派が大政翼賛体制に組み込まれて、戦争遂行に加担したのであ
った。

 こうした情勢下にあって、軍部権力に抵抗したのが創価教育学会の牧口初代
会長、戸田理事長であった。

 日蓮正宗は保身のため信徒団体である学会の折伏や神札破棄などについて宗
門は知らない等と警視庁の特高警察に泣き付いた事実を書き残した「堀日亨校
訂 渡辺日容著」の文証がある。その内容は次の通り。

 昭和十八年二月、宗務院庶務部長の渡辺慈海に富士地区の特高課より呼び出
しの電話があり、出頭すると課長は渡辺の旧友であった。

 その特高課長の話によると、静岡県の特高課で聞いたことで日蓮正宗に不敬
罪の疑いがあり、近く手入れがあるらしい、との情報を得た。日恭(写真)の命
令で渡辺は急いで上京し、法華講員で官界権威者の遠藤氏に頼み、同氏の手配
により警視庁の最高幹部の「青木閣下」らに面会を許された。

 同席した同庁の第二特高課長によると、日蓮正宗の不敬問題は調査中で学会
員による苛烈な折伏、神道排撃、神札の破棄などの不敬があり、大石寺管長の
調べや四・五ケ所を手入れすることになっているという。

 そこで渡辺が学会と日蓮正宗の関係を説明して「会員の中に脱線的な分野も
あり、苛烈な折伏をなすこと、正宗本山直接不知のこと」云々と泣きついた。

 要するに、学会員の不敬行為は宗門とは関係がないことを説明して自らに火
の粉が降りかかるのを避けたことが記されている。

 これにより「青木閣下の口添え」もあり、第二特高課長が電話を取って静岡
県の特高課に本山の手入れの取り消しを伝えたということだ。

牧口会長は権力に抵抗

 国家神道を受け入れた日蓮正宗とは対照的に軍部権力に抵抗したのが創価教
育学会の牧口会長、戸田理事長であった。

 宗門は昭和十八年六月二十日、大石寺の書院に神札を祀り、同月二十七日に
は「神札」受諾に反対してきた牧口会長、戸田理事長ら幹部を大石寺に呼びつ
け、法主の日恭が直々に「神札」を受けるよう申し渡した。

 これに対し、牧口会長は毅然として「承服いたしかねます」と拒絶。牧口会
長は宗門側に再考を促すため翌二十八日にも日恭に直諌したが、日恭は聞き入
れなかった。

 その後、同年七月六日に牧口会長は地方折伏のために訪れていた伊豆・下田
の地で「治安維持法」違反、「不敬罪」容疑で逮捕され、同日、戸田理事長も
東京・白金台の自宅で逮捕された。

 取り調べの際も牧口会長は折伏の手を緩めることなく、検事にも敢然と日蓮
大聖人の仏法の正義を語り、信念を貫いた。(つづく)

 

フェイク 第1686号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年12月16日(水)17時40分4秒
  (発行=20.12.08)

平和を祈ると言い、実は大戦に加担
大石寺のお会式と日蓮正宗の戦争責任 ㊤
六十二世・日恭が戦意高揚の「訓諭」

 日蓮正宗大石寺のお会式(御大会)が十一月二十・二十一日の両日、行われた。
初日は早朝から雨が降り続け、時折、雨脚が強くなっていた。今年はコロナ感
染拡大の影響のため参加者は各支部代表一名だった。

これまで宗門は、お会式について「古式豊かな中世の絵巻」等と自慢してい
たが、今年は山内が閑散として淋しい行事であった。

初日の夜、日如が寿量品の「我が浄土は毀(やぶ)れざるに」から「久しく業
を修して得る所なり」までを御影堂で説法。二日目の午前二時三十分からは客
殿で勤行衆会(丑寅勤行)、午前九時からは御影堂で日如らが「立正安国論」
などを捧読し、午後一時からの「お花くずし並布教講演会」(御影堂)で終わ
った。

 このお会式の様式は本紙で再三、指摘した通り、寛永九年(一六三二年)に
造像読誦論者の日精が大石寺の法主になって京都・要法寺流の邪義を持ち込ん
だことに始まる。

 大石寺では大聖人の不滅の滅を慶祝申し上げ、世界の平和を祈る儀式と宣伝
しているが、形骸化した時代錯誤の死せる仏教を象徴する三文芝居と言ってよ
い。

それは改革同盟が「日蓮正宗は未だに戦争責任を認めず、謝罪もしていない」
と幾度も指摘したように、口先で平和と人類の幸福を祈ると言うが、実態は全
く違っているのである。

今年は戦後七十五 年。大きな節目として、仏教界でも「戦争責任問題」を後
世に伝えていくことを考察。例えば、今年の夏に「語り、受け継ぐ 平和の思
い~戦後七十五年」という中外日報の連載記事で各宗派の僧達が「終戦は反省
誓う日」「教団が戦争に加担した過去の反省」等とその思いを語っていた。

かつて青年僧侶改革同盟が「宗門は速やかに戦争責任を謝罪せよ」と題した
文を本山に送付。だが、宗門は戦争責任を認めようともしないばかりか「時局
協議会」の名で「日蓮正宗の戦争加担は、国民一般の感覚以上に突出していた
とはいえない」と居直り、宗教者としての良心の欠片(かけら)も感じられなか
った。

戦時中、宗門の戦争加担の行為は数多いが、まずは戦意高揚の「訓諭」であ
る。

「驚嘆スヘキ戦果」

きょう十二月八日は今から七十九年前の昭和十六年(一九四一年)に日本海軍
の機動部隊がハワイ・真珠湾の米軍基地を攻撃、約三年半に及ぶ大戦の火蓋が
切られた日である。

この日、当時の日蓮正宗大石寺の六十二世鈴木日恭は「宗内一般」に向けて「
訓諭」(左に掲載)を発した。

その冒頭、日恭は「本日米國及英國ニ對シ畏クモ宣戦ノ 大詔煥發アラセラレ
洵ニ恐懼感激ニ堪エス」と述べていた。

この「恐懼感激」は日常会話で使うことはないが、「嬉しさの余り、恐れか
しこまりながらも喜ぶ」「有り難さに恐れ謹み、深く感じ入って心が奮い立つ」
という意味である。宣戦布告について「恐懼感激ニ堪エス」とは驚嘆する。

日頃は丑寅勤行で世界平和、人類の幸福を祈っていると言っている法主が「
訓諭」で日本が戦争を始めたことに「恐懼感激」と心情を吐露していたのであ
る。

 更に、「訓諭」の中で「幸ヒ帝國ハ御稜威ノ下忠勇無双ノ陸海軍アリ既ニ戦
端開始第一日ニ於テ驚嘆スヘキ戦果ヲ挙ケラル我等感謝ニ堪エス」とも述べて
いた。

この「御稜威」とは神格を有する天皇陛下の威光という意味であり、「現人
神」の下にある陸海軍が開戦日の十二月八日に多大な成果を挙げたことに「感
謝」し、真珠湾への奇襲攻撃の戦果を「驚嘆スヘキ」と感心して褒め称えて「
本宗宗徒タルモノ須ク聖慮ヲ奉體シ 佛祖ノ遺訓ニ基キ平素鍛錬ノ信行ヲ奮ヒ
(中略)未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ」と結んでいる。

軍部と国家神道に迎合

「聖慮」、即ち「現人神」である天皇陛下の考えを戴いて「佛祖ノ遺訓ニ基キ」
、つまり、日蓮大聖人の教えのままに戦争に勝利するよう士気を鼓舞していた。

この他、日蓮正宗は神宮遥拝を徹底し、伊勢皇太神宮の神札を受容したばか
りか、学会にも神札を受けるよう強要したが、牧口初代会長に拒絶された。

神札を受けることを拒否した牧口会長、戸田理事長(当時)をはじめ学会の
幹部に対し、登山停止の処分にした。

その無慈悲な仕打ちは仏法者として絶対に許されるものではない。

加えて、当時の宗門は拘留中の牧口会長の留守宅に役僧を行かせて転向を促
すように説得させていたのである。

当時の日蓮正宗の戦争協力の証拠を挙げれば枚挙に暇がない。宗門は軍部政
府からの弾圧を恐れて教義や化儀など宗旨の根幹にかかわる事項を一カ月程の
間に次々と改竄(かいざん)して大聖人の仏法を消滅させて国家神道に合わせた
のだ。

その実例の一つが御観念文の改変である。

昭和十六年八月二十二日の宗務院からの「御観念文制定ニ関スル件」を通達
(略して「院達」という)。

ここでは、化儀の基本である勤行の御観念文を国家神道一色の内容に改変し
たのである。
「初座 天拝
謹(つつし)ミテ皇祖天照太神皇宗神武天皇肇国以来(ちょうこくいらい)御
代々ノ鴻恩ヲ謝シ併セテ皇国守護ノ日月天等ノ諸神ニ法味ヲ捧ゲ奉ル希(こい
ねがわ)クハ哀愍納受(あいみんのうじゅ)ヲ垂(た)レ給ヘ」

当時、最高神とされた天照太神は御観念文の先頭に位置付けられ、最も崇敬
して、冒頭に「謹ミテ」という最大の敬意を示す言葉が冠されている。

この「謹ミテ」は他の諸天はおろか、御本尊にも、御本仏大聖人にも使われ
ていない。インドの神とされた梵天、帝釈は削除され、日天、月天、明星天は
簡単に「日月天等ノ諸神」と略されており、天照太神への偏重ぶりが良く分か
る。

 また「法華守護」という諸天善神の働きは「皇国守護」に置き換えられ「皇
祖」「皇宗」「肇国」などの語句が続出している。

このように最大限に天照太神が強調された初座に対し、仏法僧の三宝を御祈
念する二座、三座では簡潔な表現になり、帰命を意味する「南無」の語は大聖
人につけられただけである。

更に、宗門は「歴代法主を僧宝と仰げ」と強弁しているが、この時の御観念
文では三座の僧宝から歴代法主を削除しているのである。

二つめは同年八月二十四日に出された院達で「御書刊行ニ関スル件」と「垂
迹説ニ関スル件」の二点。ここでは御書全集の刊行を禁止するとともに、日蓮
大聖人の末法御本仏の立場を鮮明に示す本地垂迹説を第一義的には使用しない
ことを打ち出した。

三つめは同年九月二十九日の教学部通達で宗門発行の御書要文集に収録され
た御遺文の字句を十四カ所にわたって削除するというものであった。(つづく)


 

フェイク 第1685号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年12月10日(木)13時45分31秒
  (発行=20.12.05)

悪僧が大聖人の末流と称するは謗法
日蓮正宗の「大白法」と「慧妙」の駄文を嗤う
「友人葬は大聖人の根本精神」と宗門

日蓮正宗の法華講機関紙「大白法」と謀略紙「慧妙」の十二月一日付で学会
批判の駄文を掲載しているので、両紙をまとめて破折する。

 まず「慧妙」は一面「降魔の剣」欄で、十一月十日付の本紙に難癖をつけて
いる。その内容を端的にいうと、法華講の大聖人直結は良いが、学会の大聖人
直結は謗法だと変な屁理屈を述べている。

この「慧妙」は書き出しから間違っている。本紙を「創価学会発行の怪文書」
と書いているが、本紙は創価学会とは無関係で題字下に明記している通り、発
行は日蓮教団メディア・アカデミーである。

この際、題号の「フェイク」に触れると、記事が偽情報ではなく、不相伝の
日顕と日如が偽法主という意味だ。「偽装日蓮教団の実態を暴く」とのサブタ
イトル通り、偽法主に率いられて邪教と化した日蓮正宗、及び日蓮大聖人の仏
法を悪用する顕正会など偽装日蓮教団を指弾するのが本紙の目的である。

さて、本紙が「法華講要旨」に「大聖人に直結した信仰を致しましょう」を
謳っていると指摘したことが「慧妙」は余程、悔しかったのか、「鬼の首でも
取ったかのように大騒ぎしている」と書いているが、別に大騒ぎなどしていな
い。

本文の末尾に数行ほど付け加えたに過ぎない。
「慧妙」の屁理屈で特に面白いのは「〝途中を経ることなく直接(大聖人に)結
び付く〟ことを目指す在り方がいけないのであり、もし、単に〝横道に逸れる
ことなく真っ直ぐに(大聖人に)つながる〟との意味であれば、『直結』という
言葉を用いること自体に問題はない」と書いていることである。横道に逸れて
いるのは日蓮正宗の方だ。

日顕が宗内に広めたのが「法主本仏論」である。
「大聖人から御歴代は過去だから『迹』で、御当代日顕上人が『本』と言える」
(平成三年八月、行学講習会で)との「顕本仏迹論」ともいうべき大邪義を吹聴
させ、〝法主に伝わる血脈相承が根本で信心の血脈は枝葉にすぎない〟〝法体
の血脈が根本で、そこから離れて信心の血脈はない〟〝相承を受けた以上は生
身の釈迦日蓮〟など歪んだ血脈観で法主の絶対化を図って「法主本仏論」を宗
内に徹底してきた。

これこそが〝横道に逸れて〟脱線した邪説である。
その点、横道には逸れず、真っ直ぐにつながる学会の「大聖人直結」は正し
い。

日興上人の指南を曲解

次に「慧妙」は日興上人の「聖人の御のちも、末の弟子どもが、誰は聖人の
直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候也」の言葉を曲解して「明確
に大聖人直結が謗法であることを御指南なされている」等と書いている。
だが、これは屁理屈を得意とする「慧妙」の誤魔化しである。

この文は「日興遺誡置文」に示されている「富士の立義聊も先師の御弘通に
違せざる事」等の教えに背いて、謗法を呵責しないで遊戯雑談の化儀並に外書
歌道を好み、また邪義・邪見で大聖人の仏法を貶めておきながら「私は日蓮大
聖人の直結の弟子だ」と称する者達を指して大謗法の輩だと厳誡されたのであ
る。

それは丁度、死んだ日顕のように布教もせず、信徒団体を破門し、先師の偉
業を破壊したばかりか、巨額の供養を浪費して遊興三昧に耽り、その一派の腐
敗堕落している悪僧も大聖人の正系門家と称しており、このような悪僧が大謗
法だと指弾された文である。

「葬儀に僧を呼ぶ必要はない」と

また「慧妙」は「歴史改竄を糺す」欄で、葬儀には戒名や坊主の導師が必要
と書いている。その実例として大聖人の御葬儀には「日興上人をはじめ御弟子
を中心とした葬儀であった」と書いているから滑稽だ。

大聖人の葬儀は弟子の僧が中心で営むのは当然ではないか。そのことが葬儀
には坊主の導師が必要という理由にはならない。

御書にも大聖人が信徒の葬儀で導師を務められたという記述がないばかりか、
「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」「今日蓮等の
類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間
に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり」と教えられている。

死後に付ける戒名や塔婆、葬儀の形態など成仏とは関係ないのに、色々な名
目で供養を取ってきたのが日蓮正宗である。

葬儀、法要の席で遺族の故人への情を利用しては、情け容赦なく供養を搾り
取っているから「日蓮商宗」と揶揄されるのだ。

昨今の著名人に戒名無用論者は少なくない。「葬式無用、戒名不用」の白洲
次郎氏、神山繁氏などは広く知られている。

特に、日亨上人は「臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキ
ナリ」と書き残されている。こんなことも「慧妙」編集部は知らないのか?

更に、今から約五十年も前の昭和四十三年に創価学会と日蓮正宗総本山との
間で塔婆、葬儀、シキミなどについて協議し、そのうち葬儀に関しては、必ず
しも僧侶を呼ぶ必要はないという「友人葬」に宗門は同意していたのである。

これに関して、池田会長(当時)は同年十一月度本部幹部会で明言していた。

「御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。死んで
だれに御経を読んでもらう必要がありますか。我々こそ、葬式の最高の近代化
をうたえる人であり、合理化の先駆者なのです」「葬式に必ずしも御僧侶を呼
ぶ必要はないのです」「これについては、総本山も大聖人の根本精神につなが
った考えです、といっておりました」
このように葬儀に坊主を呼ばない「友人葬」に宗門が賛同して、本部幹部会で
発表されたのである。

沈みゆく泥船の宗門

次に法華講機関紙「大白法」は「異流義破折」欄で「創価学会よ、大改革を
断行せよ!」という本を取り上げて「沈みゆく泥船」等と学会を批判している
が、笑止千万!

この本を読んだこともないし、誰が書いたのかも知らないが、これを「大白
法」は我が意を得たりとばかり引用して〝会合に出ても夢も希望もない〟〝勤
行しない会員が多い〟〝地道に折伏していない〟等と羅列して最後に「本宗の
信仰に立ち帰るべきである」と脱会を促す言葉で結んでいる。

こんな的外れな勧誘の呼びかけに動揺する学会員はいない。今の日蓮正宗は
邪教・顕正会のように無謀な勧誘目標を信者に押し付けているが疲弊するだけ
だ。

この〝夢も希望もない〟〝勤行しない〟〝折伏していない〟とは、日蓮正宗
の坊主と法華講員にそのまま当てはまる。

誓願を達成せよ、登山しろ、御講に参加せよ、特別供養だと強要される法華
講員は夢も希望もないばかりか、辟易している。

勤行も出来ない法華講の幹部もいるし、唱題を軽視する坊主がいるのも確か
だ。

日如自身、大願寺の時代に勤行・唱題を疎かにしていたことは、当時、同寺
に在勤していた改革同盟の渡辺雄範氏が「離山の書」に詳しく記している。

また、宗門の折伏は進んでいないから日如が打ち出した八十万体勢構築も夢
に終わるに違いない。そもそも坊主の折伏体験など聞いたことがない。

「大白法」は他教団を批判する前に坊主と法華講員に信心の基本を実践するよ
う促してはどうだ。


 

フェイク 第1684号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年11月12日(木)14時42分6秒
  (発行=20.11.10)

相承無きニセ法主が根本か?
御書根本、大聖人直結を否定する「慧妙」
「大聖人直結」の信仰は妄想との愚論

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」十一月一日付の「歴史改竄を糺す」では「大聖人
直結なる妄想を破す」と題して、日蓮門下とは思えない愚論を掲載している。

同紙は、十月一日付では「御書根本」が邪義であると述べていたが、今回は
「大聖人直結」は、学会員に歴代法主や宗門は不要だと思わせるのが狙いだと
戯言を書いている。

そして「血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」
(『広布と人生を語る』第3巻)との池田先生の指導を引いて「会員諸君はこ
のことを知っているのか!?」と得意気に書き、更に「大聖人直結って何なの
か」「どうすれば直結になるのか」など説明がなく、内容や教義は皆無と批判
しているが、笑止!

「大聖人直結」とは信心の基本的な心構えである。大聖人に直結しないで正
法正義はなく〝日蓮と同意〟の信仰こそが門下の真のあり方である。その一念
がないから〝法主本仏論〟の邪義を唱え、日蓮正宗の僧俗は信心の基本を軽視
し、布教も出来ない。日顕はニセ法主の座にいた頃、夜の勤行をしたのは一度
だけ、日如は大願寺の住職時代から勤行を疎かにしていた。

特に、池田先生が「血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえな
い」と強調していたように「血脈付法」が大前提なのである。日顕は血脈を詐
称し、その後を継いだ日如も不相伝のニセ法主だ。

日顕は昭和五十三年四月十五日に大石寺大奥で日達法主と二人だけの場で内
々に付嘱を受けた、と述べていた。だが、法廷の場では日顕の言う血脈相承は
認められなかった。裏付ける証拠が何一つ無かったからだ。

この日は日達法主の誕生日で、その日のスケジュールは次の通り。

午前0時 大客殿で丑寅勤行。終了後、大奥で就寝。
午前七時 御影堂にて御講(約一時間)。
午前八時 御講の終了後、塔中住職による誕生日祝いの言葉。続いて大奥で朝
食。
午前九時半 三人の末寺住職による誕生日祝いの言葉(約十分~十五分)。
午前十時 本山で結納の儀を終えた原田篤道らが揃って報告(約十五分)。
午前十一時 身支度の後、大石寺東京出張所に向けて出発。夕方は都内の中華
料理店で誕生祝賀会。終了後は東京出張所に宿泊。このスケジュールからも大
石寺大奥で相承を行なう時間が無かったのは明らかだ。

次に、憂宗護法同盟の著「法主の大陰謀」によれば日達法主が急逝した同五
十四年七月二十二日、日達法主の息子の細井珪道と琢道、娘婿の菅野慈雲らを
前に日顕は次のような発言をした。

日顕「あと(相承)の事はどうなっているのか?」
菅野「総監さん(日顕)じゃないんですか?」
日顕「あぁ…そうかぁ…」
日顕が本当に相承を受けていたのなら、この場で「私が受けていた」と言う筈
だ。

この時の言動からも、日顕が相承を受けていなかったことは明白である。日
顕は猊座を盗み取り、日如も相承無きニセ法主なのだ。

なお「法華講要旨」には左の通り「大聖人直結」を謳っている。これを「慧
妙」は批判できるのか?

 

フェイク 第1683号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年10月28日(水)23時25分43秒
  (発行=20.10.27)

興源寺の講頭・総代を詐欺で逮捕
宗門のチラシ「学会員への最終警告」を粉砕
功徳のない日蓮正宗の僧俗の相次ぐ犯罪

悪質な手口の詐欺が横行している昨今、日蓮正宗の興源寺(茨城県笠間市)の
講頭で総代でもある福島軍公が詐欺で逮捕され、地元紙の茨城新聞で報道され
た。

同紙の報道によると、茨城県出身の日本画家、横山大観の偽物を群馬県高崎市
の会社役員(七六歳)に購入させたとして笠間署は十九日、詐欺の疑いで笠間市
上加賀田の古物商の福島軍公(七九歳)を逮捕したということである。

この福島は広布の陣列から離れて邪宗門へと転落した者のようで生活に困窮
していたのだろう。退転して幸せになった者を知らない。

本紙前号で今月十八日に坊主の大野雄允が酒気帯び運転で逮捕されたことを
報じたが、その翌日には法華講幹部が逮捕されたのだ。

法華講員の犯罪は、これまで金に困ってのサラ金強盗、生活保護費を搾取す
る貧困ビジネス、架空リース話で巨額の詐欺、損害賠償金を得るため故意に交
通事故を起こす当たり屋、覚せい剤所持、婦女暴行、公文書偽造、競馬のノミ
行為、公金横領などがあった。

このような犯罪の多発は、日蓮正宗が道徳的な気風と健全な精神を失った宗
派であることを物語っている。

宗門の最後の悪足掻き

法華講が最近、各地で「学会員の皆様への最終警告」というチラシを配布。
その内容は、脱会者の泣き言や感情的な学会の悪口を羅列した退廃的なもので
ある。

これは命題達成が絶望になり、粗末なチラシを配るしか手がない程、追いつ
められた法華講の最後の悪足掻きで、日蓮正宗の信仰には功徳がない証拠だ。

 脱会者に学会の悪口を言わせている宗門だが、戸田先生は聖教新聞の「寸鉄」
で次のように指弾していた。

一、信心の弱い信者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会
くずれを拾って喜んでいる。
一、それぢゃその坊さん屑買いじゃないか、そんな屑集めて何になる。
一、その屑がね、総代になったり副講頭になったり婦人部の幹部になったりし
ているよ。
一、学会の屑っていう者は偉いもんだな、屑でないのはすごいだろうね。
一、凄い所か、真金だよ、火にも焼けず水にも漂わず、教学に折伏に大童わだ、
天晴れなものだ。(昭和二十七年十月二十日付)

宗門の塔婆詐欺一億円
ところで、福島軍公の詐欺を上回る悪質なのは宗門の塔婆詐欺である。学会
の登山会があった当時、本山では塔婆の申し込みが一日に数千本を超えていた。

平成二年四月、全国宗務支院長会議で日顕は「塔婆の申し込みが多くて、本
山で書き切れない塔婆が十万本以上も溜まってしまった。書くのも目茶苦茶に
書いていた。それなら、いっそ印刷にしようということで、ワシが書いて印刷
にすることにしたんだ。その方が綺麗になるし、スッキリするようになった。
それで今までの(十万本以上も溜まっていた)塔婆は一本だけ大きい塔婆を立
てて、ご破算にした」と言い放ち、出席した坊主は「ワッハハ」と爆笑してい
た。

当時、塔婆供養は一本千円だったので、一億円相当の詐欺行為であった。


 

フェイク 第1682号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年10月22日(木)15時01分49秒
  (発行=20.10.19)

大石寺の坊主が酒気帯び運転
信号待ちの車に接触して現行犯逮捕
住職になれず納骨・塔婆担当の大野雄允

日蓮正宗総本山大石寺の坊主・大野雄允(ゆういん)が十八日、静岡県警富士
宮署に道路交通法違反(酒気帯び運転)で逮捕された。同署の発表によると、
大野は同日午前0時頃、富士宮市下条で酒気を帯びた状態で乗用車を運転し、
コンビニ店の駐車場からバックして路上に出た際、信号待ちをしていた車に接
触した。

駆けつけた同署員が呼気を検査すると、基準値を超えるアルコールが検出さ
れたため、現行犯逮捕されたのである。

〝僧侶の飲酒運転による事故〟〝酒気帯び運転の僧侶を現行犯逮捕〟というニ
ュースは全国紙、地方紙で一斉に報道され、静岡放送のテレビニュース番組で
も伝えられた(写真参照)
それにしても日蓮正宗は坊主の飲酒運転が多すぎる。山田雄勉、佐久間法敬、
須藤正伝、牧野信開、石山寿恩など坊主の数から考えると酷い宗派だ。

今回、逮捕された大野は昭和三十四年生まれの六十一歳。同五十八年三月に
得度した。一般得度の四期生で同年六月の沙弥を振り出しに平成三年に訓導に
なり、今年三月には権大僧都と僧階は上がっても内事部勤務が長く、専ら納骨
や塔婆の担当ばかりで住職の経験はない。宗門の大学科にも行っていない。

平成二十八年には、大阪府在住の人が大石寺納骨堂に預けていた祖父など二
体の遺骨を受け取りに行った時、大野が持参した祖父の骨壺は空っぽだったと
いう驚くべきことがあった。

大野は「納骨の仕事をして二十四年目だが、こんなことは初めてだ。納骨堂
のどこかにあるはずだ」等と言い逃れを並べていた。

学会が日蓮正宗に寄進した寺院の数は356ヵ寺。民衆による未曾有の寄進
である。その学会を破門した日顕は遊興に耽って寺を建立しなかったから無任
所の坊主が増える一方だった。

大野のように住職にはなれず、塔婆室勤務のままか、或いは草むしりなど雑
用の日々でストレスが溜まっている坊主が多いようだ。

大野は教学力も他の宗門坊主と同様に実に乏しい。

平成十一年六月、青年僧侶改革同盟の成田雄伴氏が富士宮市内の法華講員宅
に招かれて話をしていると、大石寺の無任所坊主九人が押し掛けてきた。三十
歳を過ぎても末寺住職になれない者たちだ。少人数では成田氏に歯が立たない
から徒党を組んで来たのだ。その中の一人が大野だった。

成田氏が相承、血脈論、僧宝などについて追及しても大野は回答不能、他の
坊主からも珍回答が返ってくるばかりで、成田氏に徹底的に破折された。

また、大野は所化時代、大恩寺(佐賀県)の住職が白内障の手術で入院した際
に一時、派遣されて行ったが、酒を飲んでは朝寝坊ばかりして、時には昼頃ま
で寝ていたこともあり、寺族を唖然とさせたという。


 

フェイク 第1681号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年10月20日(火)18時06分57秒
  (発行=20.10.13)

相変わらず日蓮正宗の暴力体質
密集・密閉のソウル布教所の坊主が死亡
青年僧侶の諌暁に暴行で報いた宗門

 日蓮正宗では九月七日から十二月十五日まで「百日間唱題行」を実施してい
るが、本山では所化小僧が日如の横に一列に並んで唱題をしている。その所化
小僧の中には眠いのか、肩が下がって姿勢が悪い者もいる。それを見つけた年
上の坊主が所化小僧を力いっぱい張り倒しているという。

 一般信徒が参列している前での暴行である。そんな暴力沙汰を見ていた信徒
が唱題行の後に「あのような(張り倒すのは)のは、どうなのかね?」と言っ
ていたが、日蓮正宗では殴るのが指導、殴られるのは修行のようだ。

 宗内での暴力行為は日常茶飯事で殴る、蹴る、張り倒すというキックボクシ
ングのような〝指導〟が横行するようになったのは日顕が〝盗座〟した以降だ
と言われている。

 日顕自身、幼少期の人格形成が歪んでいたのか、被害者意識が異常に強く、
些細なことで激高し、御開扉の直前でも平僧の頭を殴ったり、蹴ったりしてい
た。

 特に、暴力事件として忘れてならないのは青年僧侶十人が離脱した時、大石
寺の大奥が修羅場と化した出来事である。

 平成四年三月三十日、日顕との〝目通り〟の席で、菅原雄政氏が進み出て「
いろいろと悩んできたことを認めてまいりました」と、日顕の前に「離山の書」
を置いた。

 その時、不穏な事態を察知した御仲居の駒井専道が「座りなさい」と言うと、
後方に座っていた植松雄増氏が「黙れ、駒専、これ以上、我々の自由を奪うつ
もりか」と一喝。続いて日顕を指さして「日顕、悪いのはお前だ」と。すると
山口雄在氏が立ち上がり「そうだ、そうだ」と叫ぶ。植松氏と山口氏は、大勢
に包囲され、羽交い絞めにされて怒号を浴び、大塚雄能氏が「やめろ、やめろ」
と叫んで止めに入るなど、大奥は騒然となった。

 松岡雄茂(幹夫)氏が立ち上がって「警察沙汰になるぞ」と叫び、この日のた
めに書いた二十六枚、三万字に及ぶ日顕への「決別の手紙」を渡そうと数歩、
進み出た。その時、松岡氏の動きを待っていたかのように凶暴な性格で知られ
ていた曺雄理が松岡氏の顔面を拳骨で何度も殴打した。

メガネは壊れ、全治十日間のケガを負わせた。

宗史に残る暴力事件と言ってよい。宗門は純粋な青年僧侶の諌暁を一顧だにせ
ず、暴力で報いたのである。

日顕は暴力行為を見ているだけで、一言も止めようとはしなかった。

松岡氏を殴った曺雄理は以前、臼倉雄理と名乗っていた。昭和三十七年七月生
まれ。学会での学生部時代は南多摩圏で武闘派として異彩を放っていたようだ。

同六十年三月に得度。彼は在日韓国人で、韓国籍に変更。ソウル布教所の責任
者をしていたが、今月六日に死亡した。享年五十八歳。

このソウル布教所と言えば、本紙前号で韓国の「中央日報」の記事を引用して
紹介したが、ソウル市が明らかにしたところによると、「コロナの集団感染が
発生した日蓮正宗ソウル布教所は窓がまったくない密閉された空間」「日蓮正
宗ソウル布教所は二重・三重閉鎖、空調を通じた機械換気以外の外部換気がで
きない状態だった」とのことである。

 

フェイク 第1680号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 9月15日(火)17時46分4秒
  (発行=20.09.12)

「日蓮正宗ソウル布教所は密集・密閉」
韓国の「中央日報」がコロナ感染状況を報道
宗門機関紙「疫病の因は邪義邪宗の害毒」

「朝鮮日報」の「韓国の日蓮正宗で集団感染が確認された」「大韓民国日蓮
正宗の名称で法人許可を申請したが、当局が法人登録を認可しなかったのは『
軍国主義を称賛』との理由だった」という報道は、日蓮正宗の総本山大石寺で
の感染と合わせて本紙前号で取り上げた。

これに加えて、10日配信の韓国の「中央日報」でも日蓮正宗ソウル布教所
に関する重要な記事が掲載されたので紹介する。
★ ★

 ソウル市内の新型コロナウイルス感染者数が1日当たり40人台に減ったが、
散発的な集団感染は続いている。先月に密閉空間で礼拝を行った教会などを中
心に大規模集団感染が発生した状況でも依然として一部宗教施設では類似の事
例が繰り返されている。

ソウル市が10日に明らかにしたところによると、5日に集団感染が発生し
た日系仏教施設の日蓮正宗ソウル布教所は窓がまったくない密閉された空間で
あることがわかった。

ソウル市はこの日、書面会見を通じ「日蓮正宗ソウル布教所は二重・三重閉
鎖、空調を通じた機械換気以外の外部換気ができない状態だった」と明らかに
した。

礼仏時間には信徒が座席間隔を1メートル程度で維持したが、階段、休憩室、
ロッカーなどでも信徒間の密集度が非常に高かったというのがソウル市の説明
だ。

この施設では5日に僧侶1人が最初に感染が確認されてから8日までに15
人、9日に4人が追加で感染が確認され、合わせて20人が陽性判定を受けた。

このうちソウル市の感染者は19人で、9日の新規感染者4人は信徒2人と
信徒の家族2人だった。これに伴い、永登浦区(ヨンドゥンポク)は8月29
日から9月1日まで法会に参加した信徒ら316人に対し検査案内のショート
メッセージを送った。

その後、確認された追加参加者40人に対しても同一に公示した。(中略)

日蓮正宗の場合、韓国仏教に属していない日本系宗教の上に、ソウル市は日
蓮正宗側が申請した法人設立許可を承認しておらず、仏教施設全般で集団感染
が出たと見るには難しいという分析が出ている。

しかし、ソウル市は「宗教施設は正規宗教行事を含めたあらゆる宗教行事を
非対面で実施し、宗教行事以外の対面会合と行事、団体での食事は控えるべき」
と強調した(「中央日報」)
★ ★

 早瀬日如はコロナウイルス感染症について観念的な発言を繰り返し、日蓮正
宗の機関紙「大白法」9月1日付は「疫病の大流行や三災七難の起こる原因は、
邪義邪宗に帰依する謗法の害毒によるものであり、こうした災難を防ぐには、
一刻も早く謗法の念慮を絶ち『実乗の一善』たる三大秘宝の大御本尊様に帰依
することである」と書いているが、説得力に欠ける。

更に、同紙6月1日付でも「謗法による愚癡蒙昧の心と行為が、ウイルスを
拡散させていると言っても過言ではない」と記していた。

 罹患された人たちを疎んずるものではなく、感染の終息を強く願っているが
故に問うが、日蓮正宗の僧俗は真に「実乗の一善」に帰依しているのか? 一
連の現症を見ると、甚だ疑問である。

 

フェイク 第1679号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 9月10日(木)13時36分39秒
編集済
  (発行=20.09.09)

「朝鮮日報」が法人登録拒否の理由を報道
日本と韓国の日蓮正宗でコロナの集団感染
日蓮正宗は軍国主義を称賛し協力

日蓮正宗大石寺内で新型コロナウイルスの感染が確認され、八月二十九日か
ら添書登山の御開扉を休止し、丑寅勤行(客殿)、広布唱題会(客殿)、御影
堂への参詣も中止、宝物殿も休館している。

 一方、韓国の日蓮正宗でも集団感染が確認され、朝鮮日報の8日付で「集団
感染の『日蓮正宗』、日帝賞賛を理由に法人登録拒否されていた」と報道され
た。本紙で引用し紹介する。

「8日に新型コロナウイルスの集団感染が確認された仏教宗派『日蓮正宗』
ソウル布教所が、ソウル市に法人登録を申請した際に、日本帝国主義を称賛し
ているとの理由で法人登録が認められなかったことが分かった。

ソウル市などによると、日蓮正宗は日本から伝わった仏教の宗派で、201
9年、20年の2回にわたり市側に『大韓民国日蓮正宗』の名称で法人許可を
申請したが、認められなかった。

市の関係者は『日本の軍国主義を称賛していることなどを理由に不許可とし
た』として『許可が下りていないため、(民法上)無登録で布教を行う任意団
体と考えられる』と話した。

防疫当局によると、ソウル市永登浦区登浦洞にある日蓮正宗ソウル布教所で
今月5日、僧侶1人の新型コロナウイルスへの感染が確認され、濃厚接触者を
把握して検査した結果、8日午前までに信者などさらに十一人の感染が確認さ
れた。

市によると、信者たちは先月29日から今月1日にかけて、法会など複数の
集まりに参加していたことが分かった。ソウル市は『さらなる疫学調査を通じ、
患者の行動歴を明らかにしたい』と説明した(キム・スンヒョン記者)

この朝鮮日報の記事で注目すべきは「日本の軍国主義を称賛していることな
どを理由に不許可とした」との記述である。

事実、日蓮正宗の戦争翼賛、協力の証拠は多く、その主な事例を次に上げる。

★御観念文を改変(昭和16年8月)。御観念文に「皇祖」「皇宗」「皇国守
護」など、神道に配慮した文言を付け加えた。

★大聖人の御聖訓を改ざん(同年9月)「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」と
の一節をはじめ御書の御文を14カ所も削除した。

★開戦の日に法主の日恭が戦争賛美の「訓諭」を発表(同年12月)。「本日
米國及英國ニ對シ畏クモ宣戦ノ 大詔煥發アラセラレ洵ニ恐懼感激ニ堪エス」
と、戦争を始めたことに感激したと明言していた。

★海軍大臣から宗門に「感謝状」(同年同月)

★伊勢神宮遙拝を「院達」で指示(17年10月)

★神札受諾の強要(同年同月)。軍部政府の圧力に屈した宗門は、牧口初代会
長、戸田理事長(当時)ら幹部を大石寺に呼びつけ、謗法の神札を受けるよう
強要。牧口会長らは断固拒否、謗法厳誡を貫いた。

★軍事物資を積極的に供出(19年1月)。政府が発した「金属回収令」に従
って大石寺の仏具や梵鐘など約8トンもの物量を供出。加えて、境内の杉やヒ
ノキなど巨木200本余りを伐採して提供した。

これに対し学会の牧口初代会長は、軍部の弾圧にも一歩も引かず仏法の正義
を貫き通して殉教した。


 

フェイク 第1678号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 8月17日(月)18時54分25秒
  (発行=20.08.11)

日顕こそ広布破壊の張本人だ
「大白法」と「慧妙」の戯言を破折する ④
不信謗法、暴言、愚挙の数々で坊主失格

日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」(八月一日付)の「異流義破折」欄で「謗
法の根源は誰か―創価学会」と題して批判記事を掲載している。

 その「大白法」の内容は既に再三、破折したもので「総本山を謗法呼ばわり
し、血脈付法の御法主上人猊下に憎悪をたぎらせ、宗旨の根本たる大御本尊へ
の信仰を捨て去った」「(池田名誉会長は) 広宣流布を破壊した張本人」等と
憎悪を剥き出しに書いている。

 宗門は大石寺を「謗法」だと指摘されるのが悔しいようだが、日顕が相承を
詐称して〝盗座〟した後、次から次へと己義を捏造し続けたことは事実だ。そ
れは十七世日精が唱えた造仏・読誦の邪義や小笠原慈聞の神本仏迹論よりも質
が悪い。

★法主絶対論、法主本仏論を振りかざして「日顕が本仏、日蓮大聖人は迹仏」
との暴論を容認、★日顕は「現代の大聖人様」と吹聴させた、★大御本尊を鑑
定し「偽物」と断定、★日顕は「大御本尊と不二の尊体」との妄説、★「御本
尊を信じられない。文字だから」と自白、★血脈詐称、★国主立戒壇論の新説、
★禅寺に阿部家の墓を建立し開眼供養、★御本尊の書写ミス、★勤行・唱題を
嫌って法主時代、夜の勤行をしたのは一度だけ、★丑寅勤行をさぼって温泉豪
遊など、坊主失格の大謗法である。

更に、宗門に隷属させるため、学会員に御本尊授与を停止、「血脈なんて切れ
ても良い」と発言、正本堂や大客殿などの破壊、僧が上で信徒は下と差別する
信徒蔑視、「信徒の分際」との発言、黒人女性を侮辱、売春婦とのトラブル、
暴力の常習犯で御開扉の直前にも平坊主に暴行、供養の金を浪費しての遊蕩三
昧、三十億円もの信徒の浄財を浪費して都内の一等地に二箇所の豪邸建設など
愚挙や暴言は枚挙に暇がない。

特に、日顕は自らの謗法を顧みることなく「法主を批判した」というが、正し
くは、学会が「法主の謗法を指摘した」のだ。その学会を破門した日顕こそ広
布破壊の張本人である。

「大白法」は大御本尊への信仰を捨てた、登山しないと功徳は無いと非難する
が、そう仕向けたのは宗門だ。だが、登山地獄に苦しむ法華講よりも学会員は
大功徳を満喫している。

かつて日如が早瀬義寛と名乗っていた頃、学会の会則の「三大秘法の大御本尊
を信受し」について、御講の席で「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなん
て、破門された学会には許されない。狂っている」と述べていた。

今では反対に「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』とは暴挙
であり、大聖人への反逆行為です」と言っている。

「信受する」のは許されない、狂っていると誹謗し、他宗派の大石寺にあるか
ら「受持の対象にしない」というと反逆行為、謗法と言う。どっちにしても批
判するのが宗門だ。

なお、宗門は「日顕宗」と名付けたのが学会だと勘違いして恨み言を繰り返し
ているが、言い出したのは正信会だ。日顕が擯斥した後、正信会機関紙に「な
んでもかんでも猊下に従っていくのであれば、日蓮正宗ではなく阿部日顕宗で
ある。猊下に従うのが信心ではない」と書いていた。

 

フェイク 第1677号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 8月16日(日)18時11分9秒
  (発行=20.08.10)

宗門見解と反対の「慧妙」の記事
「大白法」と「慧妙」の戯言を破折する ③
「こんなの機関紙じゃない」と言った細井珪道

 大石寺への月例登山会の淵源について前々号、前号で日達法主の説法を通し
て「慧妙」の間違いを見てきたが、これまでも「慧妙」は宗門の公式見解とは
違う異説を書いて恥を晒してきた。その代表例が第五十五世日布(下の写真)の
謗法行為に関する見解である。

 日布は国柱会の中枢幹部や未入信の有名な宗教学者らに御開扉を許可して自
らが導師をしたのみならず、終わった後、日布は「各々ヨウコソの御登山、佛
祖三寶も御滿悦のことゝ存ずる。……各々が無始以来の罪障消滅現當二世の所
願滿足と厚く御祈念申上げました。南無妙法蓮華經」(「大日蓮」昭和十年三
月号)と丁寧に挨拶した。

 この日布の謗法行為を学会側が指摘。すると「慧妙」は次のような我見で弁
解した。「謗法者の御堂への参詣自体を禁じてはおられない」「戒壇の大御本
尊が広宣流布の時至るまで秘蔵の形をとり公開されていないのは、いまだに邪
宗・謗法の者多く、それらの者の手から大御本尊を厳護申し上げるためであっ
て、何も謗法者に拝ませてはならないから、という訳ではない」(「慧妙」平
成五年十一月一日付)

 この「慧妙」の出鱈目な見解を当時の宗門の法義研鑚委員会(委員長は大村
壽顕)が一刀両断した。

 同委員会は宗内教師各位への「通知」として「一閻浮提総与の御本尊といっ
ても邪宗邪義の輩に礼拝を許すわけがない。これは宗祖大聖人の御教示であり、
宗門七百年の鉄則である」と。

 一事が万事、低劣な邪見を書くのが「慧妙」である。



 そのため細川明仁や日蓮正宗を見限った花野充道は「慧妙」の記事を信じて
いると後で困ったことになる等々と嘆いていた。

 また、かつて常在寺の住職だった細井珪道(故人)が「慧妙」を指して「こん
な新聞は宗門の機関紙じゃない」と吐き捨てるように言っていたと、同寺の法
華講員が教えてくれた。

供養の金で温泉豪遊

 御供養に話を戻す。「御本尊様への御供養」と言いながら、実際は坊主たち
の遊興費に消えている実例を一つ紹介する。

 平成二年十二月、学会による二百ケ寺寄進の百九ケ寺目として山形県長井市
に信妙寺、同じく百十ケ寺目として寒河江市に真覚寺を建立した。その落成入
仏式の際、運営役員が参加者の御供養を取りまとめ、当時の庶務部長・早瀬義
寛(現在の日如)に報告した。

 すると早瀬は「こんな少ない御供養でどうするんだ。猊下がお泊りになる費
用や食事代も出ないじゃないか。何でこんなに少ないんだ。私達もたくさん来
ているんだぞ。どうするんだ」と激しい口調で運営役員を怒鳴りつけた。

 地元の人達の真心からの御供養で少ない金額ではなかったが、早瀬は宿泊費
や食事代も出ないと言って怒り狂ったという。

 後で分かったことだが、日顕、藤本日潤、早瀬ら坊主が揃って赤湯温泉の高
級旅館で盛大に豪遊したとのことだった。(つづく)

 

フェイク 第1676号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 8月15日(土)13時29分41秒
  (発行=20.08.09)

日達法主、学会の外護に感謝
「大白法」と「慧妙」の戯言を破折する ②
「供養の金を不正に使った僧は堕地獄」

昭和四十年七月の東京法華講大会での日達法主の話を前号に続いて紹介する。
「本山が衰微して、まったく御本尊様に上げるところの灯がなかった、一本の
ローソクもなかった。

お寺さんは商売人じゃないから、金を儲けることはできない。登山する人も
ない、土地は全部、農地法によって買い上げられてしまう。どうしてやってい
くことができましょう。

その時に法華講の幹部の方が本山へ集まっていただいて、一年間に一世帯五
十円の御供養を本山からお願いしたけれども、聞き入れてくれなかった。遂に
色々と理屈をつくって、とうとう逃げてしまったのであります。

その時に出席しておったのが戸田前会長であります。会長は憤慨しました」
と述べた。

この後、日達法主は前号で書いた通り、戸田先生が登山会を発足させた事実
を述べて「次の正月からずっと登山会をやって供養する精神に燃えていった」
と学会に感謝の意を表明した。

「慧妙」が書いているような阿仏房の身延詣でとか金沢法華講衆が今の登山
会の淵源ではない。

日達法主は言葉を続けて「今更、皆様の法華講員を批難するのではありませ
ん。ただ、その時の幹部があまりに酷かったから、今日、皆様に言うのである。

その幹部はどうか、そこに列席した幹部は今どうなっておるか。実に恥ずか
しいことながら、天理教に行った人もありますが、その人は、すぐ惨めに死ん
でしまいました。あるいは破産して行方不明の人もあります。実に惨めな人た
ちであります」

このように法華講幹部の厳しい罰の現証について語った日達法主は、戸田先
生が「(御供養のお金を)不正に使ったならば、それは使った僧侶が罪を受ける
のである。地獄へ堕ちるのである」と発言したことも紹介していた。

戸田先生はこの時、既に日顕のような御供養の金を湯水のように浪費して豪
遊する堕落坊主が出てくることを見通されていた。

戸田先生が懸念された通り、日顕をはじめとする腐敗・堕落坊主が多数、日
蓮正宗の中に現れた。

特に、日顕による御供養の不正使用は枚挙に暇がない。例えば、日顕が伊豆
の超高級温泉旅館で毎月のように豪遊していた事実は、そこの旅館に勤めてい
た元従業員の証言で明白だ。

「日顕さんは旅館で一番高い部屋をとっていました。一人十五万円で、政子
さんと二人で三十万円。本間、次の間、三の間と三部屋あり、数寄屋造りの純
日本建築です」「ここで十万円はする特別の懐石料理を食べていました」

この事例は氷山の一角に過ぎない。遊蕩三昧の挙句、日顕は「彼ら(学会を
指す)はジーッと御供養して信仰やって、坊さんが堕落するのを待っていたん
です!」(平成六年五月二十六日、全国教師寺族指導会)と、日顕は自らが勝
手に堕落した罪を純真な学会員になすりつけていた。

日達法主の話にある通り、理屈を並べて、供養をしない法華講に対し、戸田
先生は憤慨して純粋な外護の精神で登山会を作り、御供養を続けてきた。決し
て坊主を堕落させるためではなかった。 (つづく)


 

フェイク 第1675号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 8月14日(金)14時40分57秒
  (発行=20.08.08)

「慧妙」は日達法主の説法に違背
「大白法」と「慧妙」の戯言を破折する ①
「戸田先生が始めたのが登山会の淵源」

 日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」と謀略紙「慧妙」が最近、学会批判の記
事を立て続けに掲載している。

 これは「大白法」で「折伏精進の時」(七月一日付)、「僧俗一致し唱題・折
伏」(七月十六日付)、「全講員の折伏実践へ」(八月一日付)と煽っても、折伏
が完全に行き詰まっているため、学会員を脱会させて法華講に取り込もうとの
卑しい魂胆からだ。

 そのため、言いたい放題、学会の悪口を書いて、最後に「本来の信仰に立ち
帰るべきことを切に訴えるものである」(八月一日付「大白法」)と書き足して
いる。

 だが、こんな的外れの戯言に動揺する学会員はいないので、この種の批判記
事は捨て置こうと思っていたが、「大白法」や「慧妙」の虚偽の記事に騙され
ている法華講員や妙観講員を覚醒させるため、両紙の間違いを破折して真実を
記す。

 初めに「慧妙」が登山会について珍説を書いているので、ここで正しい歴史
を述べる。

 創価新報(令和二年二月十九日号)に掲載された谷川主任副会長のインタビュ
ー記事の「戦中・戦後の荒廃で極貧にあえぐ宗門を支えるために、戸田先生が
昭和二十七年に始めたのが登山会の淵源だ」との月例登山会の始まりに関する
記述に難癖をつけた「慧妙」が奇妙な反論を書いていた。

 まず「慧妙」はこの創価新報の日付を「平成三十二年二月十九日号」と間違
っている。平成は三十一年までだ、大笑。以前にも健在の学会幹部を〝死亡〟
と二度も誤報を掲載したことがある。失礼千万だ。「慧妙」の記事のいい加減
さを物語っている。

 さて、「慧妙」の奇妙な反論は「九〇歳の老齢で登山された阿仏房や御禁制
の中を身命を賭して登山された金沢法華講衆等が、本宗の登山の淵源である」
と。

 阿仏房が身延に行ったのが登山会の始まりとは実に「慧妙」らしい屁理屈だ。

 第六十六世・日達法主は学会の第二代会長・戸田先生の外護の精神に触れた
後、「彼(戸田先生)はその時にまだ獄舎から出てきて間もなく、また自分の事
業もない、故に本人に金はなかった。そこで決心してつくったのが登山会であ
ります」と説法。日達法主が昭和四十年七月の法華講大会で、戸田先生によっ
て登山会が始まったと明言していた。この日達法主の説法を「慧妙」編集部は
知らないのか?

 「慧妙」は日達法主の説法に違背しているのだ。

 この法華講大会で日達法主は「本山が衰微して、まったく御本尊様に上げる
ところの灯がなかった、一本のローソクもなかった」と窮状を述べていた。

 昔、大石寺の僧は山菜採りや養鶏の傍ら農作業もしていたという。(つづく)


 

フェイク 第1674号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 7月12日(日)17時56分36秒
  (発行=20.07.08)

大石寺が供養の金で金融業営む
日蓮正宗の「特別御供養」に関する考察 ㊦
敬台院の書状が示す「貸し付けと利息」

日蓮正宗は機関紙「大白法」で「日蓮大聖人の御聖誕八百年という大佳節に
当たり、大聖人様の大慈大悲に御報恩感謝申し上げるため」「現当二世に亘る
福徳を積めるよう」「一人も漏れることなく御供養に参加してまいりましょう」
(六月一日付)と煽っている。

だが、日蓮大聖人は「まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしけれ
ば功徳とならず、かへりて悪道におつる事候」と仰せになっており、数々の謗
法を犯し、広宣流布の破壊を企て、社会貢献もしないで信徒を苦しめる今の日
蓮正宗のような邪宗に供養すると、かえって「悪道に堕ちる」と教えられてい
る。

 本紙では以前、大石寺が天保九年六月に豆州韮山の代官・江川太郎左衛門に
宛てた「口上覚」と題する古文書(次頁に写しを掲示)を取り上げ、大石寺が金
融業を営んでいた旨、指摘した。この古文書は専門家の鑑定の結果、本物と確
定している。

T大学の教授(日本史)が「江戸時代の寺が檀家や周辺の農民を相手に金貸し
をしていたのは珍しいことではない」と語っていた通り、この古文書は大石寺
が他の寺と同じように庶民相手に金貸し業をしていたこと、また返済期限の延
期や利息の滞納を認めない冷酷だったことを物語っている。

 その内容を改めて簡潔に紹介する。

書き出しでは「寛永十二年十月十二日之夜寺中より出火本堂山門坊舎不残焼
失仕」と本堂、山門、坊舎等が残らず焼失したと記している。

 次に、五重の塔の再建に関する箇所にも興味深い記述がある。

そこには徳川六代将軍・家宣の正室であった天英院から貰った三百両で山門を
再建したことを書いたあと「其ノ餘金貸附ノ利銀相積り、延享年中、五重之宝
塔再建仕候」と明記しているのである。

 つまり天英院から貰った金で山門を再建し、余った金を資金にして金貸しを
して、溜め込んだ利息で五重の塔の建設費用の一部にしたというのである。

五重の塔の建設に関して日蓮正宗が公式に発表しているのは、延享三年に建
設を始めて寛延二年に完成、資金は板倉周防守勝澄からの一千両を含む総工費
四千両となっているが、ここでは大石寺が金貸し業で荒稼ぎしていた事実につ
いて、古文書をもとに紹介する。

大石寺に厳しい仏罰

「右残金ヲ以テ御祠堂田ト為シ相求メ置キ候。回徳金ヲ貸附ケ置キ候……」
 救済すべき貧しい庶民を借金で縛り、利息も取っていた大石寺には厳然と仏
罰の現証が現れた。

「近年、打チ続ク凶作ノ上、天保五年四月八日、富士山ヨリ大水押シ下シ、御
祠堂田、多分ニ流失仕リ、修覆モ行キ届カズ、誠ニ以テ難渋仕リ候」と。建設
費の残った金で田を買い求めたが、富士山から大水が押し下して、その田は流
失してしまって、修復も出来ない状態になって難渋しているというのである。

 日蓮大聖人は「新池御書」のなかで「守護の善神此の国を捨つる事疑あるこ
となし(中略)或は旱魃をなさん或は大水と成りて田園をながさんと申し」と
厳しく戒められている。

この御文に照らし、大石寺の田畑が大水で流されたのは仏罰と言える。しか
し坊主共は、御本尊に懺悔し、祈ることはせず、幕府の権力者に泣きついたの
だ。

 次に「御威光ヲ以テ是迄利銀不納モ御座無ク候」とある。これは代官所の役
人が大石寺に代わって借金の返済を迫る「触れ」を出していたので、その「御
威光」によって利息も期限通り大石寺に入金されていたことに対する御礼であ
る。

そして「当時ノ世柄ニテハ、萬一滞リ之儀、御座候節ハ、愁訴奉ルベキ儀モ、
御座有ルベキ候」と続いている。凶作と水害のため、農民達が生活に困って、
もし、借金の返済や利息を滞納するようなことになれば、訴訟を起こしても取
り上げると明言しているのだ。

そして「其ノ節ハ何卒格別ノ御慈悲ヲ以テ、御取リ立テ成シ下シ置カレ候ラ
ハバ、有リ難キ仕合セト存ジ奉リ候」と代官に根回する腹黒さだ。庶民の窮状
を顧みることもなく、己の安穏な生活を望むのが日蓮正宗の坊主共である。

この「口上覚」について法華講員が「怪しい古文書だ」「大石寺が金貸し業
をしていたとは信じられない、ウソだ」「金を貸し与えていたかも知れないが、
利子などは取っていなかった」と勝手なことを述べていた。

ここに江戸時代の寛永十五年に敬台院が供養したことを記した「大石寺重物
に渡す金子の事」という書状(上の写真を参照)がある。

これは「大石寺の重物として渡す金子の事」という書面だが、不勉強で本文
を読めない宗門の所化小僧や法華講員のために分かり易く要約して記す。

一、金子五百両は大石寺代々の法主の賄いの費用の元金として渡す。この金
子は檀家の人達で算段して貸し付け、その利息分を庫裡の維持などに用立てて
ください。

一、金子二百四十一両は大石寺の屋根の茅葺き替えの資金として檀家の人達
に預けるので貸米の元金にしてください(以下略)。

この文面から分かる通り、大石寺は金貸しをして利息を取っていた。無知な
法華講員の批判を敬台院の書状が明確に〝破折〟している。



 

フェイク 第1673号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 7月11日(土)20時06分25秒
  (発行=20.07.07)

色々な口実で莫大な金を「徴収」
日蓮正宗の「特別御供養」に関する考察 ㊤
税金や罰金と同じ感覚で強制的に取り立て

日蓮正宗は機関紙「大白法」で「折伏精進の時」との凸版を付けて「『御命
題達成の年』の総仕上げをする後半をスタート」(七月一日付)とか「いよいよ
強盛に自行化他の信心に励み」(六月十六日付の日如の話)等と出来もしない〝
八十万体勢構築〟を煽る一方、特別供養の第三回目を十二月に受け付けるとし
て大きく図入りで掲載(六月一日付)している。

 今号では、この特別供養について考察する。

 日蓮正宗では、これまで色々な口実を設けては供養と称して少人数の法華講
から集めたのは何十億、何百億円という巨額にのぼる。

 平成六年に建てた新六万塔は三段の台座の上に石碑を乗せただけで、建設費
用は約三千万円程度だったが、集めた供養が約二十一億円。「坊主丸儲け」の
荒稼ぎで、供養という名の詐欺だ。

 地震対策を理由に大客殿を破壊して「客殿」を建てるのに約四十一億六千万
円を集金した。

 大客殿については建築の専門家が「柱の補強だけで十分」と診断、建て替え
る必要など全くなかった。

 また、五十億円以上の巨費を投じて耐用年数は千年、マグニチュード9の地
震にも耐え得ると言われていた正本堂を解体して「奉安堂を建立する」と言っ
て平成十一年度には約三十三億円、同十二年度に約四十六億五千万円、同十三
年度に約八十八億五千万万円、合計して約百六十八億円もの大金を集めた。

 こうして建てた奉安堂は建物内に信徒用のトイレがなく、雨天時の待機場所
もない。まさに参詣者のことを配慮していない信徒蔑視を象徴する建物といえ
る。

 供養という名の集金で味を占めた宗門は以来、「立正安国論正義顕揚七百五
十年記念」とか「日蓮大聖人聖誕八百年慶祝」など大聖人を供養集めに利用す
る。

供養地獄の法華講

 記念事業を口実にして、平成十八年に約二十二億七千万円、同十九年にも約
二十八億一千万円、同二十年には約三十九億六千万円を搾取。同二十五年の「
御影堂」と「塔中坊の建て替え」では約百二十億円と法華講は供養地獄に苦し
み続ける。

 同二十年三月の講頭会では北海道夕張市・信隆院の法華講幹部が「供養はし
たいのですが、もう、お金がないのです。ウッ……」と泣き崩れたのは有名な
話だ。

「供養」は強要されるものではない。大聖人が「凡夫は志ざしと申す文字を心
へて仏になり候なり」と説かれているように成仏の要諦は〝広宣流布の志〟で、
供養も信心の発露から「喜捨」の精神で行うものだが、日蓮正宗の場合、事前
に目標額を決めている。

 かつて本紙で取り上げたが、平成二十八年に蓮興寺(沼津市)が配布した「御
供養勘募のお願い」と題する文書には供養の「徴収日」「徴収場所」「徴収時
間」と表現していた。供養を徴収とは驚いた。徴収とは国や公共団体が租税・
手数料などを強制的に取り立てることで「税金を徴収する」「交通違反で多額
の罰金を徴収された」等と使う。

 法華講員の信仰心に付け入り「特別御供養」と称しては税金、罰金と同じ感
覚で取り立てるのが日蓮正宗なのである。 (つづく)

 

フェイク 第1672号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 6月19日(金)19時46分7秒
  (発行=20.06.16)

夢に終わる「八十万体勢構築」
「C作戦」が裏目に出た日蓮正宗の凋落年表 ㊦
身延派と交流、神社参拝など謗法を容認

日蓮正宗の略年表を前号に引き続いて掲載する。
◇    ◇
平成二十五年
★三月三十日 法華講の講頭会で講頭たちから不満や辛辣な発言が続出。
★六月五日 鳥取市・日香寺(住職・山田貴道)の総代を務める藤本英夫が窃
盗の容疑で逮捕された。藤本は五月二十八日午前、市内の建設会社が所有する
プレハブ小屋から鉄板六枚を盗んだという。
★六月十九日 本山・東之坊に所属する法華講員で暴力団員の坂井誠が、知人
の地方検察庁事務官に捜査情報を漏洩させたとして、逮捕された。
★七月一日 「富士山お山開き」、富士山本宮浅間大社と富士根本宮村山浅間
神社で登山の無事・安全を祈願する神事が行なわれた時、法華講連合会の富士
地方部長・清功が参列し、お祓いを受けていた(写真下)
★八月四日 本山で中等部・高等部大会が開かれ、席上、日如は「中・高等部
だからこそ出来る折伏もある」と、暗に〝もっと同級生たちを折伏せよ〟と煽
っていた。
★八月二十八・二十九の両日 全国教師講習会に百人以上が欠席。宗門の凋落
を象徴する講習会だった。

平成二十六年
★一月二十日 宗務院が昨年の折伏目標を達成できなかった末寺住職を本山に
呼びつけて恫喝。
★三月三十日 法華講の春季総登山会の二日目、猛烈な〝春の嵐〟が直撃。
★四月六・七日 宗門の二大行事の一つ「虫払大法会」の初日、御開扉が始ま
る直前の正午過ぎから大石寺上空には真っ暗な雲が集まり、激しい雷鳴が轟き、
大粒のヒョウが降り始め、夜から明け方にかけて気温は氷点下近くまで下がり、
霜注意報が発令された。
★六月末 日顕の息子で布教部長の阿部信彰が脳梗塞で倒れた、
★七月二十六・二十七の両日 大石寺での第三回法華講中等部・高等部大会で
は四人の中・高生が体験を発表し、法華講幹部が挨拶したが、すべて「折伏」
の話ばかり。日如も中学・高校生に向かって、死身弘法の精神で折伏に励め、
身近な人を一人でも多く折伏せよ、と激しく煽っていた。
本来、中・高生は学業やスポーツに勤しむべき年代だが、登壇者からは一切そ
のような話はなかった。
★十月六日 関東地方を通過した台風18号の強風で、千葉県富津市の日蓮正
宗本乗寺の山門が倒壊。近隣住民は「ここは台風がよく通過する地域だが、こ
のようなものが倒れたという話は今まで聞いたことが無い」と語っていた。

平成二十七年
★四月十三日 三門改修と五重塔修復の着工法要。この日の気温は二月下旬並
みの七度で風雨も強く参列者は濡れて震えていた。
★五月二十八日 寺族同心会大会。今年も参加者が減少した。
★七月二十五・二十六の両日 第四回法華講中・高等部合宿。参加者は昨年よ
り約二割も減少。
★八月二十六日 大石寺での教師指導会でインチキ折伏が浮き彫りになった。
★十一月十日 日開の満山供養。日顕は父親の満山供養にも顔を出さなかった。
★十一月二十・二十一の両日 宗門の最重要の行事と言われる「御大会」。こ
れにも日顕は欠席した。
★十二月 折伏目標の達成支部(寺院)は全五九一支部中、四六八支部。達成
率は下降する一方で、平成二十五年は九十七・六%、二十六年は八十六・六%、
二十七年は七十九・二%。

平成二十八年
★一月四日 日如の登座十周年の祝賀会。隠居である日顕も客殿と蓮葉庵で二
度の目通りを行い、供養の〝二重取り〟をした。
★一月二十七日 第二回日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念局委員会で、新たな
記念事業の追加を決め、これまでの特別供養額四十億円に加えて三十億円を上
乗せして収奪することにした。
★三月十五日 布教区別の僧俗指導会が終了。登壇者は檄を飛ばしただけで参
加者の評判は最悪であった。
★三月 今年から青年部夏期講習会を廃止することになった。理由は「青年部
員が集まらないから」。
★四月一日 法華講連合会委員長の永井藤蔵が病気療養のため辞任し、後任の
委員長に星野浩一郎が就任。
★五月二十五日 正副支院長指導会で布教部長の阿部信彰が「いい加減な折伏
成果報告が多い」と数々の実例を挙げて釘を刺した。
★五月二十五・二十六の両日 寺族同心会大会。参加対象の千人超の坊主のう
ち参加したのは約四百人。
★八月二十三日 北海道留萌市の開道寺住職・西村正雅(四五歳)が大石寺で
の講習会に来ていて沼津市の路上で女性に乱暴しケガをさせ、強制猥褻(わい
せつ)致傷容疑で逮捕された。
★八月二十四日 全国教師講習会で日顕が自分の書いた『百六箇種脱対見拝述
記』なる本を教材に講義したが、その教材は誤りが多く、間違いを訂正した冊
子を参加者に配布。その冊子によると講義に用いた八ページ中、約二十箇所も
の訂正、削除、挿入が見られた。
★十月十九日 八月に沼津市内で強制猥褻(わいせつ)致傷容疑で逮捕された開
道寺(北海道留萌市)の西村正雅(四五歳)が、その後も民家に侵入して女性
の下着を盗んでいたとして起訴され、他にも別の女性に対する猥褻行為が発覚、
再逮捕された。
★十月二十日 法華講連合会の前委員長・永井藤蔵が病死(享年八四歳)。
★十二月 折伏目標を達成した支部(寺院)は国内全五九二支部中、三九四支
部(達成率六六・六%)。年々、下降の一途である。

平成二十九年
★一月五日 昨年の折伏目標を達成できなかった末寺住職百五十人余を大石寺
に招集して指導会。日如らが「昨年の敗北は住職の責任」「生活態度を改めよ」
等と激しく叱責した。
★三月十日 強制猥褻(わいせつ)致傷、強盗致傷、窃盗の罪で昨年、逮捕され
た北海道の開道寺の西村正雅(四五歳)の裁判員裁判の判決公判が静岡地裁沼
津支部で行われ、西村に懲役三年、保護観察付き執行猶予五年(求刑懲役五年
)が言い渡された。
★三月二十四日 日成寺(埼玉県朝霞市)の住職・安孫子信洋(四六歳)が首吊り
自殺。遺書には余りにも無謀な折伏ノルマに対する苦しい胸中が記されていた。
法主の日如は安孫子の葬儀の導師を断った。
★五月二十七日 富士宮の上野地域を探索する講座〔東西南北・歩こう上野〕
という企画で「双体道祖神」「精進川浅間神社」「川掛の山の神」「馬頭観音」
の像の石造物や神社などを巡拝(左の写真参照) 。その案内役を務めたのは大
石寺近郊の日蓮正宗寺院のY副講頭だった。
案内役のY副講頭は講座の受講者達に石造物や神社の由来、利益などについて
真剣に説明していた。
★六月六~八日 折伏成果が悪い末寺住職を大石寺に招集して折伏推進指導会。
日如が檄を飛ばし、住職を一人ずつ立たせて決意発表を強要していた。
★七月二十四日 宗務院財務部長・長倉日延(北海道・日正寺)が死亡した。
享年七十六歳
★十二月七日 東京・妙縁寺住職の光久日康が死亡した。享年九十歳だった。
以前、学会を破門したのが衰退の原因だ、等々と日顕の愚挙を批判していた。
★折伏目標達成支部(寺院)は国内全五九四支部中、僅か四二九支部だった。

平成三十年
★五月四日 黄金週間の期間中に折伏低迷の九十ケ寺の住職と法華講幹部を本
山に集めて折伏推進指導会。布教部長の阿部信彰や日如らが厳しく叱責した。
★六月十七・十八日 病死した東京・墨田区の妙縁寺住職で教学部副部長の宮
野審道の妻の通夜と葬儀で導師を務めたのは法主の日如だった。首吊り自殺し
た日成寺(埼玉県朝霞市)住職の安孫子信洋の葬儀では導師を拒絶した日如が、
住職の女房の葬儀で導師をしたのは異例。宮野審道は日如の説法の原稿を書い
ているためだと言われている。
★八月十二日 大石寺総代の井出光彦が静岡県富士宮市内の神社で行われた神
事に参加。「謗法容認」の体質が明らか。

★八月二十九・三十日
全国教師講習会に日顕をはじめ重役の藤本日潤、総監の八木日照ら役僧のトッ
プが軒並み欠席した。
★十二月 折伏目標を達成できなかったのは国内全五九五支部(寺)中、二六
七に及んだ。日如が平成二十一年に「法華講八十万人体勢構築」を打ち出して
以降の九年間で最低の結果。

平成三十一年
★一月八日 折伏が低迷している末寺住職が大石寺に集められた。午前の部で
は昨年まで三年以上、目標未達成の住職が約百十人、午後の部では一昨年と昨
年と続けて未達成だった住職、約八十人が集められて、厳しい叱責の後、布教
部長宛てに「決意文」を提出。だが、布教部長・阿部信彰はじめ壇上の役僧た
ちも軒並み、昨年は未達成の住職たちで、参加者は白けていた。

令和元年
★五月二十二・二十三の両日 寺族同心会。年々、参加者は減少の一途だが、
今年は「会場が半分も埋まっていなかった」と参加者が証言。
★八月十一日 大石寺総代・井出光彦氏が静岡県富士宮市の神社で行われた祭
事で司会を務めるなど主導的な立場で参加していた。
★九月二十日 前法主・阿部日顕が午前七時三十分、死亡した。九十六歳だっ
た。
信徒団体の名誉会長に嫉妬した日顕は学会を弾圧し、一方的に「破門」を通告。
その後の宗門は衰退の一途を辿り、信徒数は激減し、登山会参加者や末寺の御
講参加者も減り続け、信者勧誘は停滞している。
★十月十一日 阿部日顕(九月二十日に死亡)の本葬が大石寺で行われた。朝は
晴れていたが、法要が始まる頃には大石寺は黒雲に覆われ、正本堂を解体して
建てた奉安堂横の法要席で法主・日如の導師による読経が始まった途端、地面
を叩きつける大雨が降り始めた。
法要の後、降り止んだ雨は墓地での納骨の儀式が始まる頃、再び降り出した。
★十月二十日 岩手布教区支院長で盛岡市の感恩寺住職・小原玄道(七一歳)
が運転する車が対向車と衝突。車は大破、小原は重傷。小原の車がセンターラ
インを越えていた。
★十二月 今年の信者勧誘の結果は全国五九六支部(寺)中、目標を達成した
のは僅か二一四支部で過去最低の結果。日如が平成二十一年に言い出した「法
華講八十万人体勢構築」は夢物語に終わるに違いない。

令和二年
★一月二十七日 東京都足立区内の本修寺(住職・園田司道)に在勤する所化
(二二歳)が運転する乗用車が台東区内の交差点でタクシーと衝突。そのはず
みでタクシーは近くのコンビニに突っ込んだ。
★三月三十一日 梶原慈文、阿部信彰、漆畑行雄、水島公正の四人が能化(権
僧正)に昇級した。血脈が断絶した日蓮正宗では日如もニセ法主であり、能化
といっても何の価値もない。
*********************
以上、日蓮正宗の主な謗法行為と悪事の数々を列記したが、恒例行事になって
いる身延派寺院への参詣は数が多いので省略した。


 

フェイク 第1671号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 6月18日(木)21時36分38秒
  (発行=20.06.15)

信徒は激減、登山者も減少の一途
「C作戦」が裏目に出た日蓮正宗の凋落年表 ㊥
役僧らは贅沢三昧、平坊主は破廉恥行為

日蓮正宗の略年表を前号に続いて掲載する。

◇    ◇
平成十二年
★三月六日 山田容済がスペインで高級娼婦の金髪女性と密会し買春行為。
★三月二十一日 「シアトル事件」裁判で東京地裁が「事件は真実」と認定。
宗門側の完全敗訴の判決。
★五月三十日 宗門が深く関与した信平狂言訴訟で東京地裁が「訴権の濫用」
として却下。
★十二月五日 芸者写真の裁判で東京高裁が一審判決を取り消し、宗門側敗訴
の判決。
★十二月六日 身延僧の一行十七人が大石寺を訪問。

平成十三年
★一月二十三日 日顕を中心にした「C作戦」の謀議に参加していた関快道が
檀徒の反発でオーストリアから追放。
★五月十五日 阿部信彰、総講頭の柳沢喜惣次らが僧俗指導会のカマシ行脚の
最中に温泉三昧。
★九月三日 教師講習会で平坊主をカマした直後に、日顕一族が伊豆修善寺の
超高級温泉旅館で豪遊。
★九月二十七日 日顕の台湾親修を台風が直撃。現地マスコミが〝日本の花和
尚が豪勢な台湾旅行〟と報道。
★十月一日 宗門の謀略紙「慧妙」が「9・11」の同時多発テロは〝日蓮正
宗を迫害したことによる諸天の瞋り〟と大暴論。米国のマスコミから糾弾の嵐。

平成十四年
★一月二十四日 名古屋の妙道寺の寺院明け渡し裁判で宗門が最高裁で敗訴
★一月二十九日 岩手・常説寺の明け渡し裁判で宗門が最高裁で敗訴。
★一月三十一日 「シアトル事件」裁判、宗門側がすべての訴えを取り下げ、
和解(東京高裁)。学会側の全面勝利で決着。
★一月三十一日 日顕が突如〝三月二十八日にも立宗の意義がある〟と妄言。
★二月二十二日 神奈川の大経寺の明け渡し裁判で、宗門が最高裁で敗訴。こ
れにより日顕の「ニセ法主疑惑」が原因で宗門が最高裁で三敗となった。
★二月二十二日 「シアトル事件をめぐるデマ」で、東京地裁が宗門に四百万
円の賠償を命ずる判決。
★七月二十八日 阿部信彰が山崎正友と都内のホテルで相承問題について極秘
会談。
★八月二十八日 「シアトル事件」に関するデマ発言で水島公正(埼玉・能安
寺)に、さいたま地裁川越支部が賠償命ずる判決(控訴せず確定)
★十月三十一日 中国大支院長・青山聴瑩が八年間も女性従業員を陵辱してい
た事実が発覚。
★十一月二十六日 法華宗(本門流)の坊主二十人が黒装束で大石寺を見学。

平成十五年
★二月十二日 「シアトル事件」をめぐるデマで、高裁が日顕に対し、宗門と
連帯して四百万円の賠償を命ずる判決。
★四月八日 大石寺の遺骨不法投棄事件で東京高裁が大石寺を断罪。遺族に合
計二百万円の賠償金を支払うよう命令。
★七月十四日 日顕らがアメリカでのテロ犠牲者の追善法要と称してアメリカ
旅行。
★七月十五日 改革僧の池田託道住職の名誉毀損事件で最高裁が上告棄却。日
顕の敗訴が確定。
★八月末 新寺の法要を口実に日顕一族が豪華なパリ観光旅行。
★九月九日 「シアトル事件」をめぐるデマ裁判、最高裁が上告棄却。宗門と
日顕の敗訴が確定。
★十二月十九日 遺骨の大量不法投棄事件、最高裁が上告棄却。大石寺の敗訴
が決定。大石寺に二百万円の賠償命令が確定。

平成十六年
★二月二十四日 日顕の芸者写真裁判、最高裁が上告棄却。宗門側敗訴が確定
★三月二十七日 講頭会で新たな供養(護持供養)の収奪を決定。
★四月一日 「法主は、遷化又は自らの意思による以外はその地位を退くこと
はない」など宗規を大幅に改変。
★四月十三日 身延派の坊主が大石寺を訪問。
★四月二十九日 海外部主任の中本代道がシンガポールで女性檀徒と不倫密会。

平成十七年
★一月二十七日 日顕のインドネシア親修は大失敗。帰国した日顕は約一ヵ月
間、公式行事から姿を消して雲隠れ。
★三月二十九日 総監の藤本日潤が辞任、後任に早瀬日如。
★四月一日 法華講員が大石寺に直接供養する護持供養の受け付け開始。末寺
と法華講の負担が激増。
★五月下旬 旧大石寺出張所の世田谷豪邸を解体、日顕の隠居所として全面建
て替え(十一月に完成)
★十二月一日 早瀬日如が学頭に就任。
★十二月十二日 ニセ法主日顕から早瀬日如に相承の猿芝居。(日達法主の急
死で日顕への相承はなく、当然、その儀式もなかった)
★十二月十五日 早瀬日如を日顕宗管長に選出。

平成十八年
★一月一日 元朝勤行の参加者が減少、衰亡の一途をたどる宗門を象徴。
★三月 桜花爛漫の季節を前に「常灯(とこひ)ガ峰」の桜の伐採作業を強行。
★4月 早瀬日如の代替法要(六、七日)。慶祝登山(八~十四日)
★四月二十二日 日如の初の親修は静岡県・浜松の妙重寺。本山と同じ県内な
  のに前日から高級ホテルに宿泊し、豪華な料理で会食するなど贅沢三昧。
★四月下旬 御影堂の改修について、またも特別供養を通達。
★七月四日 ブラジルの「一乗寺乗っ取り事件」をめぐる裁判、サンパウロ州
高等裁判所が宗門側の控訴を棄却。SGI側の完全勝訴が確定。
★八月十二日 午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた次の瞬間、奉安堂の東側に立
  っている杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を噴いて周辺には黒煙
が立ち込めた(写真左)。消防車が八台も緊急出動、消火活動は夕方まで続いた。
雷の直撃を受けた杉は「逆さ杉」「お華水の杉」と呼ばれ、近くには「お華水」
と呼ばれる岩の隙間から湧き出る清水があり、毎朝、この水を御影堂、客殿な
どに供えていた。正本堂の解体後は水が濁っていたということだ。

★十一月二十七日 支院長会で平成二十一年地涌倍増六十万(平成十四年に日
顕が打ち出した)の目標を、七万五千の結集と五十万の登山に大幅下方修正。
★十二月 平成二十一年までの三年間にわたり特別供養の徴収を開始(二十三
年にも第四回の追加徴収)

平成十九年
★一月三・四日 初登山の参加者が昨年より三千人も減少。
★五月十八日 早瀬日如が台湾へ。「花和尚の二代目」と酷評された。
★五月 日達法主の側近だった能化の光久日康(妙縁寺)が日顕の愚挙を批判。
①宗門の疲弊を招いたのは学会を破門したのが原因だ②宗門トップは学会に謝
罪し話し合うべきと発言。
★七月 大石寺で桜の木の切り倒しを続行。
★八月二十九日 日顕らに責められた光久日康が教師指導会で一連の発言につ
いて謝罪させられた。
★十二月二十四日 今年一年間の登山者は前年より六万人以上も減少。また、
  平成十年以降、登山者は毎年一万人ずつ減り続けて、九年前に比べると、約
十 万人も激減した。

平成二十年
★二月三日 京セラドーム大阪で西日本決起大会を開催。関西・中部・中国・
四国の十五布教区、二百五十支部を対象に三万五千人を結集目標にしていた
が、歴史的な大失敗。天候は雪・みぞれ、道路は各地で一 時通行止めになっ
た。
★二月二十四日 小倉北区の北九州メディアドームで九州決起大会。天候は大
  荒れで北九州、佐賀、大分には風雪注意報が発令され、大会の前夜から雪が
降り、地域によっては猛吹雪に。
★三月十二日 都心の一等地に日顕の女房・政子の二億円マンションが発覚。
★三月二十八日 「富士年表」改訂で学会による外護の歴史を改ざん。
★三月二十九日 大石寺で全国の講頭ら五百六十八人が出席した法華講の講頭
  会。席上、北海道夕張からの参加者が「供養したいのですが、もう、お金が
ないのです」と泣き崩れた。
★四月二十九日 北海道決起大会を札幌市内の真駒内セキスイハイムアイスア
  リーナで開催。大会の最中の午後二時二十六分、震度4(地域によっては震
度3)の地震が発生。日顕、日如らの来道を諸天が激怒したとの声も聞かれた。
前日、北海道入りした日顕と日如は一泊三十三万円のホテルの貴賓室に宿泊、
一人八万円の料理に舌鼓を打った。
★六月十五日 さいたまスーパーアリーナで東日本決起大会。前日は岩手・宮
  城内陸地震(マグニチュード6・3)で宮城県・一乗寺の三師搭が崩壊、栗
原市の妙教寺は母屋の屋根が崩落。各地の甚大な被害を配慮せず、大会を強行
し、被災地の人々からは大顰蹙。

平成二十一年
★六月三日 宗会議員の九人が日顕批判の「質問主意書」を提起。
★七月二十六日 「七万五千人総会」で日蓮大聖人御聖誕八百年までに法華講
八十万人体勢構築を発表。
★十二月十八日 正信会寺院が寺の看板などに「日蓮正宗」の名称を使用して
いることから宗門と正信会との「名称裁判」で宗門が地裁で敗訴。

平成二十二年
★三月二十七日 「特別供養」を延長するとの発表で講頭会が紛糾。
★五月二十六日 宗会議員選挙の結果が発表になり、日顕ファミリー二人が惨
敗。
★八月四日 正信会との「名称裁判」は高裁でも宗門が敗訴。
★十月二十七日 日顕が息子への法主継承を目論み、阿部信彰を常在寺の住職
にする情実人事を断行。

平成二十三年
★四月二十二日 震災被災地の福島で佐久間法敬が飲酒運転で事故。
★十一月十日 正信会との「名称裁判」で宗門の上告を棄却。ニセ相承が原因
で宗門の敗訴が確定。
★十二月 予定外の四回目の特別供養に法華講からも強い非難が渦巻く。

平成二十四年
★三月二十四・二十五の両日 法華講春季総登山会は三万人の結集目標に対し、
集まったのは約二万五千人で、またも目標割れとなる。
★八月二十九・三十の両日 本山での全国教師講習会に法主の日如が欠席。理
由は「顎関節症のため」で、アクビをした際に顎が外れたということだ。
★十二月十日 東京・本行寺住職の高野日海が死亡。高野は身延僧の一行が大
石寺を訪問した際、接待役として歓待した。
★十二月十六日 この日午後四時四十五分頃、高知県南国市の日蓮正宗の延寿
寺(住職・川口盟道)から出火、木造平屋の本堂と住居部分を合わせて約三百
平方メートルを全焼した。
約三時間後に鎮火したが、消防車十三台が出動して、現場は騒然となった。


 

フェイク 第1670号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 6月17日(水)13時32分39秒
  (発行=20.06.14)

綱紀自粛の徹底直後、日顕らは豪遊
「C作戦」が裏目に出た日蓮正宗の凋落年表 ㊤
信徒団体に嫉妬して破門し遊蕩三昧

日蓮正宗の公式サイトの「創価学会との関係について」の項で「学会関連年表」
を掲載している。その内容は「平成三年十一月、学会が宗門の教義・信条に従
わないから破門し、信徒組織を法華講に統一した」等と学会を悪だと決めつけ
て、広布破壊の謀略「C作戦」を正当化している。

だが、実際は正反対である。宗門が腐敗堕落、謗法に成り果て、相承を詐称し
た日顕は遊興に耽り、信徒を蔑視し、閉鎖的で時代に逆行するのみならず、三
宝を破壊したのである。
平成二年末に「C作戦」を強行した宗門は目論見が裏目に出て信徒が激減し、
凋落の坂を転落している。

一方、学会は興隆を続けて世界百九十二ヶ国・地域にまで拡大、その正邪は厳
然と証明された。ここでは日蓮正宗の三十年間の主な謗法行為と悪事を略年表
にして後世に残す次第である。
 ◇    ◇

  平成二年
★七月十六日 日顕(故人)、藤本日潤、早瀬義寛(今の日如)、秋元広学(今の
日高)、八木信瑩(今の日照)、河辺慈篤(故人)、関快道の七人が大石寺東京出
張所で学会破壊工作について謀議。(西片会議)
★七月十七日 宗務院との連絡会議で学会が僧侶の「綱紀自粛」を申し入れた。
★七月十八日 日顕らが大石寺大書院で学会破壊を謀議。これを日顕が「C作
戦」と命名。(御前会議)
★七月二十一日 日顕が秋谷会長の発言に「驕慢謗法だ!」と怒鳴り、名誉会
長に対して「懲罰にかけるから」と恫喝した。
★七月二十二日 日顕がファミリーで伊豆長岡の超高級温泉旅館で豪遊。
★八月二十九日 全国教師講習会の初日、「末寺(総本山の塔中及び各本山を
含む)僧侶・寺族の綱紀・自粛に関する規準」を徹底。この綱紀自粛の内容は
二十一項目に及んだ。
★八月三十日 二日間にわたる全国教師講習会を終えた夜、日顕は皆が解散し
たことを見届けると、綱紀自粛を無視、丑寅勤行もそっちのけで伊豆長岡の超
高級温泉旅館に出かけて豪遊。
★十一月二十一日 日顕らが伊豆長岡の超高級温泉旅館で豪遊。日顕は毎度、
一人一泊十五万円の部屋に宿泊、豪華な懐石料理を堪能していた。
★十二月十一・十二日 日顕らは伊豆長岡の高級温泉旅館で豪遊、名誉会長の
スピーチに難癖つける「お尋ね」文書について謀議。
★十二月十三日 宗門側が学会との連絡会議で「十一・十六スピーチ」に関す
る「お尋ね」文書を学会側に手渡そうとしたが、話し合いを求められて撤回。
★十二月十六日 宗門が学会との話し合いを拒否し、「『歓喜の歌』を歌うこ
とは外道礼讃」等々の「十一・十六スピーチ」についての愚劣な言いがかりを
並べた「お尋ね」文書を送付。
★十二月二十三日 学会が宗門側に話し合いを重ねて要求。
★十二月二十五日 日顕が大石寺内で段勲や高橋公純らと学会破壊について密
談。日顕は高橋、段に「名誉会長を切って学会員のうち二十万人が山に付けば
よい」と発言。
★十二月二十七日 宗門が臨時宗会で宗規を改変し、名誉会長の総講頭職、及
び他の大講頭職も罷免。宗門が学会破壊のための牙を剥いた。マスコミには「
宗規改正による資格喪失」と説明(この二年後、日顕は懲罰の意があったと明
言)。


  平成三年
★一月一日 学会が宗門に「お尋ね」文書の根拠となったテープ反訳の誤りを
指摘。
★一月二日 日顕が秋谷会長・森田理事長らの目通りを拒否。
★一月六日 日顕が全国教師指導会で過去の自分の発言を否定し、正本堂の意
義を歪曲して説法。
★一月十二日 宗門側が「お尋ね」文書の根拠であるテープ反訳の間違いを認
めて質問を撤回。総講頭罷免の根拠は瓦解した。
★二月二十六日 宗門が全国支院長会議で名誉会長への謝罪要求書を出すこと
を決定した。
★三月五日 宗門がSGIに一任してきた海外布教の方針を一方的に変更し、
海外での檀徒作りを画策。
★三月十二日 東京・目黒区内に日顕の二十億円の地下プール付き豪邸計画が
あることが露見。
★三月十六日 宗門が七月から月例登山を廃止し、添書登山にすると一方的に
学会に通知。
★六月五日 一般紙に登山会変更の広告を掲載。
★六月七日 宗門の月例登山の廃止により経営が行き詰まることを苦にしたバ
ス会社「大富士開発」の副社長が自殺。
★六月 「大日蓮」六月号に「猊下は現代における大聖人様」との妄説を掲載。
★七月二十一日 檀徒作りを公式方針として発表。
★七月三十一日 能化の返書で「日顕は大御本尊と不二の尊体」と暴論を記す。
★八月二十九日 日顕が教師指導会で脱会者作りを指示。「信心がいやになろ
うが、何しようが関係ないんだ」「頭から少しカマシてやればいいんだ、そん
な者は」などと暴言を吐く。
★九月二十七日 日顕の「禅寺墓」問題が露見 。平成元年七月十七日、日顕
が福島市内の曹洞宗白山寺に建てた阿部家の墓の法要を行った。墓石には「為
先祖代々菩提 建立之 日顕花押」と刻んである(写真)
★十月二十一日 宗門が学会に〝葬儀に僧侶を呼ばなければ地獄に堕ちる〟と
脅迫まがいの通告文を送付。
★十一月七日 宗門が学会へ「解散勧告書」送付。
★十一月二十八日 宗門が学会に対して「破門通告書」送付。
★十一月三十日 宗門が学会員への「御本尊下附停止」を発表。
★十二月二十七日  世界の千六百二十四万九千六百三十八人が署名した「退座
要求書」を学会が送付し、宗門は受け取りを拒否。

  平成四年
★二月二日 七人の僧侶が日顕に「諌暁の書」を送付して宗門から離脱(「改
革同盟」を結成)。その後、離脱する住職が続出。
★三月二十八日 宗門が東京都知事宛に学会の解散を求める通知書を提出、都
側は全く相手にせず。
★三月三十日 青年僧侶十人が日顕に「悪いのはお前だ」と面罵し離山。「青
年僧侶改革同盟」を結成。
★三月三十一日 青年僧侶改革同盟が、富士市内で午後三時から記者会見。真
の宗門改革を断固、進めていきたいと表明。
★六月十六日 僧侶有志が「憂宗護法同盟」を結成。
★六月十七日 日顕のシアトル買春事件が発覚。
★七月四日 宗門が名誉会長の「信徒除名」の処分。
★十一月十八日 日顕の東京・赤坂での「芸者写真」が露見。

  平成五年
★一月 日顕の指示で総坊前の桜など二百八十余本を切り倒す。
★六月二十日 重役だった早瀬日慈が死亡。翌二十一日に日顕が豊島区の法道
院に到着した途端、法道院上空から黒雲(写真)が沸き上がって大雨が降り出し、
強風が吹き、稲妻が走り、雹(ひょう)まで落ちてきた。
★九月一日 大石寺が遺骨を米袋に詰め込むなど大納骨堂の杜撰な管理の実態
が明らかになった。

   平成六年
★一月一日 「C作戦」の謀議の内容などを記した河辺慈篤のメモが流出。
★二月一日 「新六万塔」の建立を発表(約三千万円の建設費用に対し二十一
億円もの巨額の供養を収奪)
★二月十六日 日顕による東京都世田谷区内の豪邸計画が発覚。
★五月二十六日 寺族同心会で日顕が「僧侶が堕落したのは信徒が供養したか
らだ」と自らの堕落を認め、責任転嫁の妄言を吐く。
★七月十六日 宗門が平成新編御書を発刊したが、約九百ヶ所も間違う大失態。
★七月二十四日 六万登山を強行したが、目標の六万を大きく下回る。
★十一月五日 日蓮宗身延派の布教師会一行が大石寺参拝。宗門が歓迎。
★十二月十日 大石寺で藤本日潤と山崎正友が正信会との和解、学会攻撃など
に関して謀議。

   平成七年
★二月十三日 世田谷の豪邸の発覚に慌てた宗門が辻褄合わせのために「大石
寺の出張所を西片から世田谷に移転」と発表。
★五月四日 大本山・保田妙本寺が宗門から離脱。
★六月六日 池上本門寺の貫首ら一行が大石寺参詣。高野日海らが歓待した。
★八月二十三日 大客殿の解体を発表。
★九月二十九日 日顕がシアトルでは「飲酒のために外出した」と従来の主張
を全面的に変更。

   平成八年
★三月三十一日 法華講春季総登山を大雨・洪水・強風など七つの注意報が直
撃。
★六月四日 日顕、親教の前夜に鬼怒川温泉で豪遊
★十月十八日 日顕は体調の異変で、この日から連続して二十六日間も丑寅勤
行を休む。
★十一月十八日 宗門が文相に学会の解散を求める意見書を提出したが、全く
相手にされなかった。

   平成九年
★四月十八日 宗門の無任所教師七人が西山本門寺の虫払いに参詣。
★六月十八日 日顕による東京都渋谷区松濤の豪邸建設計画が発覚。
★九月十七日 身延派日蓮宗の僧侶約三十人が大石寺を参詣。
★十二月二十二日 「シアトル買春事件」の裁判で日顕が出廷(翌年二月二日、
五月十八日も)

   平成十年
 ★一月十九日 改革同盟の池田託道住職を誹謗中傷した日顕のデマ発言裁判
で、大津地裁が日顕に慰謝料三十万円の支払いを命令。
 ★二月二日 「シアトル事件」裁判で日顕が出廷、疑惑の手帳をめぐり苦し
い言い逃れに終始した。
 法廷で四苦八苦の日顕
************************
★三月二十六日 十万登山(~四月四日)が大失敗。終了後、日達前法主の説
法に違背して大御本尊を正本堂から奉安殿に密かに遷座。
 ★五月十八日 「シアトル事件」裁判で日顕が出廷。
 ★五月二十六日 日顕の〝一番弟子〟の坊主が女子中学生への淫行で逮捕。
 ★六月二十三日 日顕が正本堂の解体を強行。
 ★九月二十八日 日顕が約一ヶ月間の入院。

   平成十一年
★二月二十日 奉安堂の建設を口実に今後三年間、毎年五十億円、合計百五十
億円の大収奪計画を発表し、法華講に衝撃が走る。
★四月二十八日 岐阜・本玄寺講頭が詐欺で逮捕。
★七月七日 日顕の「大御本尊偽物発言」が河辺慈篤のメモにより発覚。
★九月二十四日 インドのデリー大学に宗門坊主が経歴を詐称しての不正入学
の画策が露見。
★十二月十九日 日顕が「私が、あの平成二年において、ある決断をしました」
等と自ら「C作戦」を首謀したことを暴露。(つづく)


 

フェイク 第1669号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 4月21日(火)13時02分26秒
  (発行=20.04.19)

日顕譲りの狂暴な信彰が能化に
四人の無能坊主が権僧正とは滑稽の極みだ
改革僧侶に破折された水島公正も昇級

日蓮正宗四人の無能坊主が権僧正とは滑稽の極みだでは、このほど四人の能
化(権僧正)昇級の人事を発表した。日蓮正宗の能化など社会的にも仏法上も何
の価値もないが、この四人とは梶原慈文、阿部信彰、漆畑行雄、水島公正で、
梶原は慧浄院日経、阿部は慧聰院日明、漆畑は慧澄院日実、水島は慧厚院日叡
と名乗るとのことである。

 四人とも「坊主の不信心」という言葉の通り、信仰心が欠落し、教学力もな
く、信徒を教導する能力もない。

 梶原は平成二十四年三月に千葉県の弾正寺から香川県の本門寺に異動したが、
翌二十五年から昨年までの七年間、一度も〝誓願〟を達成したことのない無能
坊主である。

 また、漆畑は海外部長の立場にありながら海外での布教を推進できないばか
りか、国内外で外国人に対するデタラメな勧誘を黙認し、幽霊講員を増殖させ
ている。

 特に、看過できないのは、日顕のバカ息子・信彰の昇級だ。日顕譲りの信彰
の暴力は所化に限らず、女房、改革同盟の僧侶、学会男子部員など手当たり次
第で、凶暴な信彰の正体を物語る事例を一つ紹介する。

 平成十一年十月三日、改革僧侶と男子部員四人が、信彰がいた東京・府中市
の大修寺を訪問。その目的は都内などでバラ撒かれた「大白法」号外(平成十
一年八月十日付)の「シアトル買春事件」に関するデマ記事について、日顕の
息子として事件の真相をよく知る信彰の真意を質すためであった。

 当初、同寺の受付で面会を求めた改革僧侶らに対し、二階の本堂から降りて
きた信彰は「おうM、何だ」と鷹揚に声をかけ、受付前で議論に応じながら法
要を終えて帰る法華講員を見送っていた。

 ところが、次の瞬間、信彰の態度が急変し、突如として激怒した。男子部員
に近づき、手にした中啓で何度も男子部員の手や頭を殴打。これが異常な暴行
劇の幕開けであった。

男子部員の髪の毛をつかんで引きずり回し、何発も拳骨で殴りつける非道ぶり。
 半狂乱の信彰に大勢の法華講員が「先生、止めて下さい」と制止したが、荒
れ狂った信彰は「暴力でも何でもいいんだ」と支離滅裂なことを叫びながら男
子部員たちを素手で殴り続けた。

 そこで改革僧侶が「おい、信彰、お前はニセ法主の息子だろ!」と一喝する
と、信彰は驚き、仰天した表情を見せた後、白目を剥き、改革僧に顔をこすり
つけてきた。まるでヤクザ映画の悪役を彷彿とさせる信彰の言動だったという。

不倫疑惑の教学部長

次に教学部長の水島公正(埼玉県・能安寺)も改革僧との法論に敗れた坊主だ。

 法論は能安寺の客間で行われ、改革僧が「血脈とは何か」と訊ねると、水島
は「分からない」の一点張り。「では、分からないものを信じているのか」と
盲信の愚を笑われ、水島は「如来秘密神通之力の秘法だ。それとは別の秘伝が
血脈だ」と勝手なことを言い出した。

だが「それでは四大秘法だ。日蓮正宗の根本義から外れている」と改革僧に破
折され、更に、女性講員との不倫疑惑まで追及された水島はシドロモドロだっ
た。

 こんな極悪・無能の坊主共が能化とは滑稽の極みだ。

 

フェイク 第1668号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 4月 7日(火)21時17分37秒
  (発行=20.04.05)

正統な法主が不在の日蓮正宗
「大白法」の怨念・憎悪の批判記事を破折
ニセ法主の模写本尊は悪鬼神の入った魔札

日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」四月一日付の「異流義破折 学会員救済
のために――創価学会」欄では、創価新報の記事に難癖をつけ、相も変わらず
怨念・憎悪に満ちた学会批判を繰り返している。

その内容は御本尊の開眼が必要と述べて「法華を心得たる人」が御本尊の内
証を一身に所持する血脈付法の法主であることは「本因妙抄」の文が示す通り
と書いているが、笑止千万!

 また「開眼のない学会の『ニセ本尊』には、大聖人の御魂魄は住されない」
と誹謗し、更に第二代会長・戸田先生、第三代会長・池田先生の昔の指導を持
ち出して現在の路線と矛盾していると、鬼の首を取ったように非難している。

だが、この「大白法」の批判記事は日顕や日如が正統な血脈を相承した法主
であることが要件である。

受けてもいない血脈を受けたと詐称したニセ法主の日顕、血脈とは無縁の日
如の「内証」とか、或いは「本尊の開眼」を論じても何の意味もない。

昭和五十四年七月二十二日に日達法主が急死。日顕は「死人に口なし」をい
いことに緊急重役会議の席上で「今日まで、どなたにも秘してきたが、実は昨
年四月十五日、総本山大奥において猊下と、自分と、二人きりの場において、
猊下より自分に対し内々に、御相承の儀に関するお言葉があり、これについて
の甚深の御法門の御指南を賜ったことを御披露する」と虚言を弄して猊座を盗
み取った。

だが、日顕は昨年九月に死ぬまで、この相承を受けたことを証明できなかっ
たのである。

日達法主の急死によって、血脈は断絶し、日蓮正宗には正統な血脈相承の法
主は不在となり、ニセ法主の時代になったのだ。

このニセ法主が模写した本尊こそ「ニセ本尊」であり、「悪鬼神が入り込ん
だ魔札である」と言わざるを得ない。

学会は大聖人直結、御書根本で大功徳

「大白法」が取り上げている戸田先生、池田先生が昔、当時の法主を尊信する
ような指導をしたのは、宗門の法主が血脈相承を受けて正法を護持していると
いう大前提があったことを忘れてはならない。

戦後、学会は宗門外護の信徒団体として広宣流布に邁進し、世界広布の大飛
躍を成し遂げた。日昇・日淳・日達といった歴代法主も学会の弘教拡大を讃嘆
し、僧俗和合で前進してきた。

その僧俗和合路線を破壊して学会を破門した日顕、その跡を継いだ日如らを
学会が尊信する筈がない。今は極悪坊主の謗法を糾弾していくのが正しい信心
の在り方である。

 また「大白法」は学会が変わったかのように書いているが、学会の信心は昔
も今も変わっていない。日蓮大聖人直結、御書根本である。それによって学会
員は絶大な功徳を満喫している。

法華講のように登山だ、御講だ、特別供養だ、折伏目標の達成だ等々、坊主
が打ち出したノルマに苦しむことなく、学会員は歓喜に燃えて信仰に励んでい
る。

我が国に宗教法人は十八万もあるが、ノルマで信者を苦しめている最悪の邪
教は日蓮正宗と顕正会である。

 

フェイク 第1667号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 3月 9日(月)12時52分15秒
  (発行=20.03.07)

信徒を蔑視、供養だけは取る宗門
「坊主の不信心」そのもの、三宝破壊の日顕
権威づけのため難解な仏法用語を多用

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」三月一日付で、かつて宗門がテープの反訳ミスを
認めた平成二年の「十一・十六スピーチ」を今頃、蒸し返して学会批判を繰り
返している。

その内容は池田名誉会長が宗門や法主を蔑視・軽視する発言をしたとか、学会
が宗教法人設立の際の「三カ条」の誓約に違背していると難癖をつけているが、
笑止千万! 紙面の都合上、簡潔に破折する。

 当時の法主・日顕は貪瞋癡の三毒強盛の魔僧で信徒を蔑視し、隷属を強いて、
学会の外護に対しても「信徒の分際で……」と寺院計画について信徒が干渉す
るのは越権行為だと発言した。

この宗門に三百五十六ケ寺を建立寄進した功労者は、日顕の言う〝信徒の分際
〟なのだが、これも越権行為だったのか?

信徒を侮辱しておきながら、供養だけは受け取る。それが宗門の強欲体質であ
り、今年の年末も特別供養として三十億円の収奪を目論んでいる。

 次に、日顕の説法については、学会員や法華講員から難解だとの苦情が多か
った。日蓮大聖人の仏法を金儲けの〝商品〟と考えている宗門は、仏法を難解
なものに仕立てる。

お会式の際、法主は寿量品の説法をするのが常だが、昨年九月に死去した日顕
は権威づけのために難しい仏法用語を多用して法主一人が仏法を極めているか
のように装っていた。

今の日如にしても同じである。これは大聖人の仏法を訓詁注釈の領域に封じ込
め、信徒の日常生活から隔絶したものにしているのだ。

これでは仏法は流布しないし、訓詁注釈や観念論では御本尊の仏力・法力を引
き出すことは出来ない。

大聖人は御書の随所で信力、行力の重要性を教えられている。

 ところが、宗門は訓詁注釈を偏重して、御本尊の仏力・法力を引き出す実践
の在り方を信徒に教えるどころか、坊主たちも実行しなかった。「坊主の不信
心」そのものだ。

それ故、日蓮正宗の信仰に功徳は無く、七百年間、弱小教団として埋もれ、室
町時代には大石寺を売却したような高僧が現れたのだ。

 次に「折伏した人は信徒として各寺院に所属させること」「当山の教義を守
ること」「三宝(仏・法・僧)を守ること」の三カ条について述べる。

学会員が折伏した際は例外なく、日蓮正宗の末寺で御授戒を受けさせ、その際、
新入信者を寺に付けるべく氏名、住所などを記入して提出していた。

それを整理して残すことなく、放置して破棄したのは寺側である。

信徒宅に足を運ぶこともなく、信心指導もせず、励ましの言葉もかけないで、
寺に来ない、信徒を寺に付けなかったと嘆くとは、聖職者らしからぬ懶惰懈怠
にして無責任の極みだ。

 二項目目の「本宗の教義を守る」を学会は真面目に遵守してきた。逆に宗門
は御書を軽視し、日顕の己義を大聖人の教えに背いて正当化しようとさえした。

三項目の「本宗の三宝を守る」ことだが、これまで再三、述べたように「法
主本仏論」「法主は本、大聖人は迹」「法主は大御本尊と不二の尊体」など前
代未聞の三宝を破壊したのは日顕らであり、学会ではない。

https://youtu.be/nInVBJ18F_0

 

フェイク 第1666号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 3月 2日(月)20時06分5秒
  (発行=20.02.29)

「血脈は断絶、法水寫甁は妄説」
大石寺・南之坊支部が配布するチラシを嗤う
邪宗邪義に洗脳された哀れな法華講員

日蓮正宗の宗務院が「新型コロナウイルス感染症への対応について」との院
達(二月二十日付)を出して、 布教区別僧俗指導会、 広布推進会、支部総登山
の中止を通達した。これにより、進んでいない勧誘が完全に停滞することは疑
いない。

そんな折、大石寺の南之坊支部では粗雑なチラシを富士宮市内で配布してい
る。

それは既に破折され尽くした内容の羅列で「学会員は洗脳されている」と見
当違いの批判を書いている。

チラシには御本尊の内証がどうとか、歴代法主による血脈、法水写瓶がこう
とか、戯言を述べているが、これこそ邪宗・邪義に洗脳された妄言である。

また、チラシには御本尊の認定にも触れているが、大石寺で御本尊を鑑定で
きたのは、昨年九月に死んだ日顕だけだったそうだ。

その日顕が大御本尊を筆跡鑑定して「偽物」と断定したことは河辺慈篤が書
き残していた。この件について宗門は納得できる釈明をしていない。

面白いことに、東京・八王子の平山廣篤(廣妙寺)が昭和六十一年六月十三日、
御講で日顕の不信謗法を暴露したことがあった。

「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。
すると『(日顕は)なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも
本当に信ずることができないでいる』と仰せられた」

この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に書き留めていたのだ。

また、日顕は血脈相承について「切れたって別段いいんだとオレはそう思う」
とビールを飲みながら語ったことがあった。確かに、日顕の言うように、血脈
は断絶しているのだ。

特に、日顕は御本尊を全く信じていなかった。法務以外の勤行・唱題をしな
かったのも、海外初の御授戒でトイレに御本尊を置き忘れたのも、日顕の御本
尊書写に誤字・脱字が多かったのも全てそのためだ。

御本尊の内証とか血脈について論ずるならば、日顕の「偽物」発言、不信謗
法に関して弁解するのが先決である。

宗門の主張は屁理屈

また、学会が弘安二年の御本尊を受持の対象にしない、としたことに学会員
は疑問を感じないのかと書いているが、顕正会の愚かな遥拝勤行について、宗
門が非難しているのと同様、学会が仮に「大御本尊を受持の対象にする」と言
っても批判するに違いない。

事実、早瀬義寛(日如)は以前、学会の会則の「三大秘法の大御本尊を信受し」
について、御講で「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなんて、破門された
学会には許されない。狂っている」と叫んでいた。

それが近年では「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』とは
暴挙であり、大聖人への反逆行為です」と相反することを述べるように変わっ
た。

「信受する」のは許されない、狂っていると批判し、他宗派の大謗法の大石
寺にあるから「受持しない」というと、反逆行為と言う。

弘安二年の御本尊を受持の対象にしなくても学会員は功徳を満喫している。

宗門の主張は感情的な屁理屈である。

https://youtu.be/nInVBJ18F_0

 

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