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フェイク 第1564号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 1月30日(月)19時46分16秒
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  (発行=17.01.28)

幕府権力の手先になり頻繁に火災
大石寺での消火訓練に関する一考察 ㊤
正法が滅して諸天善神が見捨てた証拠

一月二十六日は文化財保護法制定の契機となった法隆寺金堂の壁画が焼損した
日(昭和二十四年)に当たるため、この日は文化財防火デーになっている。

 この日、全国各地で防火訓練が行われ、池上本門寺(大田区)は文化庁次長と
消防庁長官が視察、唐招提寺(奈良市)には文化庁長官、消防庁次長が出向いた。

 大石寺は学会が修復した五重塔が国の重要文化財に指定されただけで、身延
山久遠寺、中山法華経寺などと違って〝国宝〟級の物は何もない。だが、あま
りにも頻繁に火災が発生しているため、消防署の関係者や大石寺自衛消防隊ら
が参加して防火意識を高める目的で実施されたのだろう。

 大石寺の火災に関しては、本紙前々号(一五六二号)で紹介した通り、今月十
四日午後二時半頃、富士宮市馬見塚の雑木林で火災が発生。百七十五平方メー
トルを焼いた。この雑木林は学会が寄進した対山坊の敷地内で、現在は一・二
階に宗門関係者が住んでいる。

 ここで日蓮正宗の坊主が、強風のなか焚き火をして火災になった。今年は、
このように防火意識が欠落した坊主を覚醒する意味を込めた防火訓練だったの
だろう。

 ところで、大石寺では開創以来、十三件の大火があった。そのうち十二件は
江戸時代以降に集中していることに注目したい。江戸期の寛永十二年から同一
五年にかけて寺檀制度が成立し、大石寺が幕府の手先になり、庶民を檀家とし
て〝支配〟するようになって以降、諸天が見捨てたことで火災が増えたのであ
ろう。江戸時代以降の火災は次の通り。

大石寺の火災一覧

○寛永八年十月十二日 大
石寺諸堂を焼失(石文)
○寛永十二年十月十二日 大石寺本堂、三門、坊舎残らず焼失(古文書)
○文化四年五月十二日 大
石寺塔中理境坊を焼失した(棟札)
○安政五年五月二十五日
大石寺遠信坊・寿命坊・学寮四箇などを焼失した(霑伝)
○万延元年二月二十五日
 大石寺石之坊より出火、富士見庵・寿命坊・遠信坊・学寮焼失(諸記録)
○元治二年二月二十八日
大石寺客殿・六壺・大坊を焼失(霑伝)
○慶応元年十二月二十三日
大石寺蓮葉庵焼失(霑伝)
○明治四十二年六月八日
大石寺塔中百貫坊を焼失(白蓮華)
○大正十三年十月三十一日
 大石寺塔中本境坊を焼失(院二二五)
○昭和五年六月四日 大石
寺塔中本境坊を焼失(院二七五)
○昭和八年十月二十三日
大石寺蓮葉庵を焼失(宗報A三七)
○昭和二十年六月十七日 大石寺大坊(対面所・大奥・書院・六壺)・客殿など
  五百余坪を焼失(寺誌)、この大火災の際、逃げ遅れた第六十二世日恭が焼死
  した(大過去帳)
  (つづく)



 
 
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