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フェイク 第1556号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年11月24日(木)22時02分37秒
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  (発行=16.11.23)

大石寺のお会式は下手な茶番劇
大聖人の仏法を供養集めに使う"日蓮商宗 "
「説法は意味不明、歓喜も感動もない」と講員

邪宗に成り果てた日蓮正宗大石寺では十一月二十・二十一日の両日、お会式
を行った。毎年、この日に大石寺がお会式を行なうようになったのは昭和三十
九年からのことで、歴史は極めて浅い。宗門は〝中世の美しい絵巻を思わせる
〟とか〝日蓮正宗の歴史の長さを示す〟古式豊かな行事だと宣伝している。だ
が、参加した法華講員は「説法は難しく意味不明で、信心の歓喜も感動もなか
った」と感想を語っている。

 参加した講員が難しい説法だったと言うのも当然で、日蓮大聖人の仏法を金
儲けの商売道具と考えているため〝日蓮商宗〟と揶揄されている日蓮正宗は、
仏法を難信難解なものに仕立て、信徒の日常生活から隔絶したものにしている
のだ。

 お会式の初日は御開扉に始まり、夕刻にはニセ法主の日如が差しかけられた
真っ赤な大傘の下を〝本仏気取り〟で歩くお練り、その後は日如の下手な説法、
三三九度の儀式と続いた。

 このうち、お練りの際、助番僧が片手に提灯を持って日如の所まで走って来
て一礼していた。これは御本仏の御説法を願う姿を現しているというが、お粗
末な演出の三文芝居だ。

大願寺の住職、法道院の主管の頃、満足に御書講義も出来ず、当時の教学部
長の大村寿顕に講義を頼んでいた日如がニセ法主になった途端に〝本仏気取り
〟で説法するとは驚くばかりだが、茶番劇はまだ続いた。

 入場して菩薩の座(上行座)に座った日如に会行事が恭しく礼をした。これは
涌出品の右繞三匝(うにょうさんそう)の法式、及び寿量品の三誡三請、重誡重
請(じゅうかいじゅうしょう)の格式をもって本仏に高座へ登ることを願い奉る
儀式だということだから、実に滑稽の極みだ!

あの遊び人の〝ブクロの寛ちゃん〟が完全に大聖人気取りなのだ。これだか
ら「法主信仰」と言われるのである。

ニセ法主の分際で、もったいぶって時間をかけるほど己自身の権威づけにな
ると、日如は思っているようだが、今の時代に物笑いの種でしかない。

 ここでは御本仏が寿量品文底久遠名字の南無妙法蓮華経を説く儀式だとして
説法は寿量品に限るのだが、日如は権威づけのため難解な仏法用語を多用し、
法主だけが仏法の本質を極めているかのように装うから、先述の通り、講員は
理解できないのだ。これは大聖人の仏法を愚かにも訓詁注釈の領域に封じ込め
ているのであり、これでは世界広布はできない。

 二日目は丑寅勤行から始まり、勤行が嫌いで有名な日如が大導師だった。

日如は大願寺住職の頃は勤行をしないと改革同盟の渡辺雄範氏に糾弾された
が、丑寅勤行をよくサボっていた日顕と違って、登座してからは渋々、勤めて
いるらしい。

 お会式の中心的な行事は申し状の奉読である。この申し状とは時の権力者に
出された諫暁の書で「立正安国論」などを坊主が次々に奉読していた。

だが、戦時中、時の権力に迎合し諫暁の書も出さず、神札を受け、御書を削
除し、御観念文を改変した宗門が今更、ごく少数の講員の前で七百年前の申し
状を奉読しても全く意味がない。


 
 
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